改訂新版 世界大百科事典 「今宮神人」の意味・わかりやすい解説
今宮神人 (いまみやじにん)
内蔵寮(くらりよう)に所属した禁裏供御人(くごにん)の一種で別名今宮供御人ともいう。元来,摂津今宮浜(現,大阪市浪速区恵美須地区)に集居する漁師であったが,平安時代に夷神広田社(今宮戎神社)の神人となり,魚介類の売買に従事した。夷神広田社は事代主(ことしろぬし)命を祭神とする旧郷社で,漁民が西宮(兵庫県)の広田神社から夷神を守護神として分祠したことにはじまる。911年(延喜11)今宮浜が禁裏の御厨(みくりや)に指定されたので御厨子所(みずしどころ)供御人となった。1333年(元弘3)の《内蔵寮領等目録》によると,上洛の際内蔵寮に〈蛤(はまぐり)一鉢〉を献上している。また室町初期より京都祇園社大宮の駕輿丁(かよちよう)となり,祇園祭の際には数日間京都にあってハマグリおよび生魚を売る権利を与えられていたので〈今宮の蛤売〉などといわれた。91年(元中8・明徳2)淀魚市の商人と販売権のことで争論を起こしているが,淀の商人が塩物を卸売するのに対し,彼らはエビ,カサメ(カニの一種),貝など生鮮物のうち比較的遠隔地に運べるものを京都の問屋に卸す権利を持っていたが,祇園祭以外には京都での直売は許されていなかった。また1516年(永正13)には江州(滋賀県)粟津座とも争っているが,室町幕府より粟津座は店舗販売,今宮神人は前記様式の販売のみと定められた。その活動は天正年間(1573-92)ころまで史上にみられる。
執筆者:野田 只夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報