今山遺跡(読み)いまやまいせき

日本歴史地名大系 「今山遺跡」の解説

今山遺跡
いまやまいせき

[現在地名]西区横浜二丁目

今津いまづ湾に面した標高八〇・八メートルの独立した小丘陵(今山)から標高四メートルの裾部にかけて立地する。弥生時代玄武岩を素材として製作された石斧の原産地および石斧製作跡として、丘陵の一部は国史跡指定された。山頂には硬質の玄武岩が露頭し、裾部周辺では縄文時代前期・中期遺物包含層や弥生時代の銅剣、古墳時代前期の製塩土器分布が確認された。石斧製作跡は今津にある瑞梅寺ずいばいじ川を隔てた北側の今津遺跡北西呑山のみやま遺跡も初め並存するが、弥生中期には原石の産出地と直結した今山遺跡が圧倒的優位を占める。一九二〇年代、当遺跡は弥生時代の石器製作跡として知られるようになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「今山遺跡」の解説

いまやまいせき【今山遺跡】


福岡県福岡市西区横浜にある石斧(せきふ)製作所跡。福岡市の西北部、博多湾岸の糸島平野に独立する標高82mの小丘陵に所在する。1923年(大正12)に発見され、その後、数度の調査の結果、遺跡は山頂の玄武岩露頭付近をはじめ、南・東南側の中腹斜面や山麓など広範囲にわたって残されていた。石斧の材料に適した玄武岩の破片が多量に混在し、石斧未製品・敲石(たたきいし)も出土した。標高5m前後の山麓端にある緩斜面には、加えて敲打段階で破損した未製品が多く出土し、この地域では研磨を行わずに出荷され、日常生活の傍で敲打仕上げまでの石斧製作が行われていたことをうかがわせる。製作された太型蛤刃(はまぐりば)石斧は、長さ20cm前後、幅8cm前後、厚さ5cm前後、重さが1.5~2kgもあり、木を切り倒すのに使われたと考えられる。これら石斧の製作は、弥生時代初頭には始まっているが、中期になって飛躍的に増大したと推定され、福岡県を中心に佐賀県や熊本県の宇土半島などでも今山産の石斧が出土している。弥生時代における分業・専業化の程度、社会組織の実態などを考察するうえで重要とされ、1993年(平成5)に国の史跡に指定、2002年(平成14)には指定範囲が拡大された。JR筑肥線九大学研都市駅から徒歩約17分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「今山遺跡」の意味・わかりやすい解説

今山遺跡 (いまやまいせき)

福岡市西区横浜にある弥生時代の石斧製作遺跡。標高85mの今山という独立丘陵の中腹とその裾部に位置する。1923年発見。今山は玄武岩からなり,この玄武岩を原材として弥生時代特有の太形蛤刃石斧を製作している。原材採石場に近い山頂や中腹で粗加工し,山麓の2ヵ所の遺跡で仕上げ加工して製品化している。石斧製作は弥生時代中期前半に盛んに行われたらしいが,69年の福岡市教育委員会の調査で,弥生時代前期末から行われていたことが明らかになった。ここで製作された石斧は福岡県内はもちろん,佐賀・大分・熊本各県の一部にも分布する。
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