今藤長十郎(読み)イマフジ チョウジュウロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「今藤長十郎」の解説

今藤 長十郎(3代目)
イマフジ チョウジュウロウ


職業
長唄三味線方

肩書
今藤派家元,大阪芸術大学教授 重要無形文化財保持者(長唄・三味線)〔昭和59年〕

本名
坂田 敉助(サカタ ヤススケ)

別名
前名=今藤 佐太郎(4代目)

生年月日
大正4年 10月22日

出生地
東京日本橋区(東京都 中央区)

学歴
大阪音楽学校専科〔昭和12年〕中退

経歴
父・2代目今藤長十郎に長唄をならい、5歳の時「雛鶴三番叟」で初舞台。昭和4年4代目今藤佐太郎を継ぎ、17年今藤派3代目長十郎を襲名。21年長唄協会理事、44年同協会副会長、58年大阪芸大教授を歴任。この間、39年に創作邦楽研究会を創設。長唄三味線の古典を踏まえながら、新しい作曲技法で約1000曲の作品を発表、滋味あふれる芸風で知られた。59年長唄三味線の人間国宝に認定される。代表的な作曲作品に「こころ四季」「日月星」「しづかな流れ」「山郷の四季」「阿吽」「蝉丸逢坂秘曲伝」「榎」などがある。

所属団体
今藤会

受賞
日本芸術院賞(昭57年度)〔昭和58年〕 紫綬褒章〔昭和52年〕 芸術祭賞(放送部門)〔昭和34年〕「しづかな流れ」,モービル音楽賞〔昭和57年〕

没年月日
昭和59年 8月4日 (1984年)

家族
父=今藤 長十郎(2代目),三女=今藤 長十郎(4代目),姉=今藤 綾子(長唄三味線方)

伝記
打てば響くと言うけれど… 牧田 正三 著(発行元 新風舎 ’03発行)


今藤 長十郎(2代目)
イマフジ チョウジュウロウ


職業
長唄三味線方

肩書
今藤派家元

本名
坂田 政太郎

別名
前名=松永 鉄太郎,後名=今藤 長栽(2代目)

生年月日
慶応2年 2月28日

出生地
東京

経歴
囃子方2代目今藤佐太郎の子。初め笛方を務めたが、明治23年7代目松永鉄五郎に入門、松永鉄太郎と名乗って三味線方に転じた。37年2代目今藤長十郎を襲名。母まち(美佐吉)の教えで古曲に精通、40年東京音楽学校に邦楽調査掛が新設されて、その調査嘱託員となり、邦楽曲の採譜に尽力した。また「近世邦楽年表」の編集にも従事、邦楽研究に大きく貢献した。昭和17年二男の4代目佐太郎に長十郎を譲り、長栽と改名。作曲には「夫婦鶴」「井筒」「松の四季」「御代の曙(山の巻)」などがある。

没年月日
昭和20年 6月9日 (1945年)

家族
父=今藤 佐太郎(2代目)(長唄囃子方),長女=今藤 綾子(長唄三味線方),二男=今藤 長十郎(3代目),孫=今藤 長十郎(4代目)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「今藤長十郎」の解説

今藤 長十郎(3代目)
イマフジ チョウジュウロウ

昭和期の長唄三味線方 今藤派家元。



生年
大正4(1915)年10月22日

没年
昭和59(1984)年8月4日

出生地
東京・日本橋

本名
坂田 敉助(サカタ ヤススケ)

別名
前名=今藤 佐太郎(4代目)

学歴〔年〕
大阪音楽学校専科〔昭和12年〕中退

主な受賞名〔年〕
芸術祭賞〔昭和34年〕,紫綬褒章〔昭和52年〕,日本芸術院賞〔昭和57年〕「しづかな流れ」,モービル音楽賞〔昭和57年〕

経歴
父・2代目今藤長十郎に長唄をならい、5歳の時「雛鶴三番叟」で初舞台。昭和4年4代目今藤佐太郎を継ぎ、17年今藤派3代目長十郎を襲名。21年長唄協会理事、44年同協会副会長、58年大阪芸大教授を歴任。長唄三味線の古典を踏まえながら、新しい作曲技法で多くの作品を発表、滋味あふれる芸風で知られた。59年長唄三味線の人間国宝に指定される。作曲作品に「こころの四季」「しづかな流れ」「山郷の四季」「阿吽」「蟬丸逢坂秘曲伝」「榎」などがある。


今藤 長十郎(2代目)
イマフジ チョウジュウロウ

明治〜昭和期の長唄三味線方 今藤派家元。



生年
慶応2年2月28日(1866年)

没年
昭和20(1945)年6月9日

出生地
東京

本名
坂田 政太郎

別名
前名=松永 鉄太郎,後名=今藤 長栽(2代目)

経歴
囃子方2代目今藤佐太郎の子。初め笛方を務めたが、明治23年7代目松永鉄五郎に入門、松永鉄太郎と名乗って三味線方に転じた。37年2代目今藤長十郎を襲名。母まち(美佐吉)の教えで古曲に精通、40年東京音楽学校に邦楽調査掛が新設されて、その調査嘱託員となり、邦楽曲の採譜に尽力した。また「近世邦楽年表」の編集にも従事、邦楽研究に大きく貢献した。昭和17年二男の4代目佐太郎に長十郎を譲り、長栽と改名。作曲には「夫婦鶴」「井筒」「松の四季」「御代の曙(山の巻)」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「今藤長十郎」の意味・わかりやすい解説

今藤長十郎
いまふじちょうじゅうろう

長唄(ながうた)三味線方、今藤派の家元名。歌舞伎(かぶき)小鼓打2世田中佐十郎(本名今藤(こんどう)長十郎、のち今藤長才(ちょうさい)、1843没)を流祖とする。2世(1866―1945)は2世今藤佐太郎の子である3世佐太郎。初め歌舞伎囃子(はやし)方。のち7世松永鉄五郎の門に入り、松永鉄太郎と改め長唄三味線方となる。1904年(明治37)長十郎を襲名。高野辰之(たつゆき)のもとで『近世邦楽年表』の編纂(へんさん)に尽力、邦楽界に貢献した。晩年、長栽(ちょうさい)と号す。3世(1915―84)は2世の次男。前名4世佐太郎。1942年(昭和17)長十郎を襲名。旧来の長唄にとどまらず、洋楽との接点を探求し、作曲、演奏の両面で活躍する。『うぐいす』『こころの四季』『丹頂鶴(たんちょうづる)』『阿吽(あうん)』などを作曲。今藤同門会、創作邦楽研究会などを結成する。84年、重要無形文化財保持者に認定された。4世(1947― )は3世の三女。前名今藤小苗(さなえ)。84年、3世の没後ただちに襲名する。

[植田隆之助]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「今藤長十郎」の解説

今藤長十郎(3代) いまふじ-ちょうじゅうろう

1915-1984 昭和時代の長唄三味線方。
大正4年10月22日生まれ。2代今藤長十郎の次男。今藤綾子の弟。昭和17年3代長十郎を襲名。39年創作邦楽研究会を創設。邦楽と洋楽の接点をもとめ演奏,作曲に活躍した。59年人間国宝。昭和59年8月4日死去。68歳。東京出身。本名は坂田敉助(やすすけ)。前名は今藤佐太郎(4代)。作曲に「こころの四季」「丹頂鶴」など。

今藤長十郎(2代) いまふじ-ちょうじゅうろう

1866-1945 明治-昭和時代前期の長唄三味線方。
慶応2年2月28日生まれ。3代今藤長十郎,今藤綾子の父。はじめ歌舞伎囃子(はやし)方で,のち7代松永鉄五郎に師事,三味線方となる。明治37年2代長十郎を襲名,今藤家を再興。高野辰之の「近世邦楽年表」の編集に協力した。昭和20年6月9日死去。80歳。江戸出身。本名は坂田政太郎。号は長栽。

今藤長十郎(初代) いまふじ-ちょうじゅうろう

田中佐十郎(たなか-さじゅうろう)(2代)

今藤長十郎 こんどう-ちょうじゅうろう

田中佐十郎(たなか-さじゅうろう)(2代)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「今藤長十郎」の意味・わかりやすい解説

今藤長十郎(3世)
いまふじちょうじゅうろう[さんせい]

[生]1915.10.22. 東京
[没]1984.8.4. 東京
長唄三味線方。本名坂田やす助。2世今藤長十郎の次男。前名4世佐太郎。 1941年3世を襲名。演奏,作曲の両面に活躍。「創作邦楽研究会」を主宰,現代邦楽の進むべき道を探求し,『こころの四季』『しずかな流れ』などを作曲。 84年重要無形文化財保持者に認定された。

今藤長十郎(2世)
いまふじちょうじゅうろう[にせい]

[生]慶応2(1866)
[没]1945
長唄三味線方。本名坂田政太郎。初め笛方。のち7世松永鉄五郎の門弟となり,長唄三味線方となる。 1904年2世長十郎となり今藤家を再興。同志とともに長唄鶴命会を創設。黒木勘蔵,六合新三郎らとともに『近世邦楽年表』の編纂に従事し,不朽の業績を残す。

今藤長十郎(4世)
いまふじちょうじゅうろう[よんせい]

[生]1947.6.4.
長唄三味線方。3世今藤長十郎の3女。本名坂田小苗。前名今藤小苗。 1984年4世を襲名。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

367日誕生日大事典 「今藤長十郎」の解説

今藤 長十郎(3代目) (いまふじ ちょうじゅうろう)

生年月日:1915年10月22日
昭和時代の長唄三味線方
1984年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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