朝日日本歴史人物事典 「伊吉博徳」の解説
伊吉博徳
7世紀後半の官人。斉明5(659)年,遣唐使に加わり入唐。『日本書紀』に引かれた旅行の記録『伊吉博徳書』によると斉明5年9月に唐の越州につき,閏10月洛陽で高宗皇帝に拝謁したが,唐が百済征討を準備中であったため,長安(西安)に禁足され,翌年9月,許されて長安を出発,済州島(韓国)を経て斉明7年5月に九州に帰還した。この書には,高宗との問答,日本使が他の外国使より優れていたこと,随員から讒言者が出て,一行が苦しんだことなども述べられている。帰国後は2度にわたり唐使を応接するなど外交に活躍したが,朱鳥1(686)年,大津皇子の変に連座した。しかしまもなく許されて,持統9(695)年には遣新羅使となり,大宝律令の制定にも参画して,文武4(700)年には褒賞を受けた。極位は従五位下であった。外国経験を生かした有能な官僚といえよう。<参考文献>北村文治『大化改新の基礎的研究』
(東野治之)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報