伊沢多喜男(読み)いざわたきお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊沢多喜男」の意味・わかりやすい解説

伊沢多喜男
いざわたきお
(1869―1949)

明治・大正・昭和時代官僚政治家。明治2年11月24日長野県に生まれる。伊沢修二(しゅうじ)の弟。帝国大学法科大学で浜口雄幸(おさち)、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)、小野塚喜平次(きへいじ)、高野岩三郎らと同期。卒業後内務省に入り、和歌山愛媛新潟県知事警視総監台湾総督、東京市長などを歴任、1916~1941年(大正5~昭和16)貴族院議員、1940~1947年枢密顧問官を務めた。浜口雄幸と親しく、立憲民政党内務官僚の指導者として重きをなした。劇作家飯沢匡(いいざわただす)は二男。昭和24年8月13日没。

[木坂順一郎]

『伊沢多喜男文書研究会編『伊沢多喜男関係文書』(2000・芙蓉書房出版)』『大西比呂志編『伊沢多喜男と近代日本』(2003・芙蓉書房出版)』


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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「伊沢多喜男」の解説

伊沢 多喜男
イザワ タキオ


肩書
枢密顧問官,貴院議員(勅選)

生年月日
明治2年11月24日

出生地
長野県高遠

学歴
東京帝大法科大学政治学科〔明治28年〕卒

経歴
明治39年内務省に入り、和歌山・愛媛・新潟などの各県知事、警視総監を経て、大正13年台湾総督となり、15年東京市長、昭和15〜22年枢密顧問官などを歴任。この間、大正5年〜昭和16年勅選貴院議員。政党には籍を置かなかったが民政党を応援し、政党政治を支持、枢密院では軍部の専横や対米戦争に反対し続けた。また、浜口雄幸が襲撃された直後には幣原外相を首相代理に据え、岡田内閣の成立に際しては後藤文夫らと謀り、純官僚内閣を誕生させるなど政界黒幕として活躍した。戦後22年公職追放。

没年月日
昭和24年8月13日

家族
兄=伊沢 修二(音楽教育家) 息子=伊沢 竜作(関東特殊製鋼常務) 飯沢 匡(劇作家)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「伊沢多喜男」の解説

伊沢 多喜男
イザワ タキオ

大正・昭和期の内務官僚,政治家 枢密顧問官;貴院議員(勅選)。



生年
明治2年11月24日(1869年)

没年
昭和24(1949)年8月13日

出生地
長野県高遠

学歴〔年〕
東京帝大法科大学政治学科〔明治28年〕卒

経歴
明治39年内務省に入り、和歌山・愛媛・新潟などの各県知事、警視総監を経て、大正13年台湾総督となり、15年東京市長、昭和15〜22年枢密顧問官などを歴任。この間、大正5年〜昭和16年勅選貴院議員。政党には籍を置かなかったが民政党を応援し、政党政治を支持、枢密院では軍部の専横や対米戦争に反対し続けた。また、浜口雄幸が襲撃された直後には幣原外相を首相代理に据え、岡田内閣の成立に際しては後藤文夫らと謀り、純官僚内閣を誕生させるなど政界黒幕として活躍した。戦後22年公職追放。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「伊沢多喜男」の意味・わかりやすい解説

伊沢多喜男 (いざわたきお)
生没年:1869-1949(明治2-昭和24)

官僚,政治家。長野県出身。帝国大学法科大学卒業。和歌山,愛媛,新潟の各県知事を歴任し,1914年警視総監,24年台湾総督をへて26年に東京市長となる。この間16年に勅選貴族院議員。大学で同期の浜口雄幸と親交を結び,立憲民政党系内務官僚の総帥としてまた政界の黒幕として活躍し,革新官僚に隠然とした力をもっていた。40年に枢密顧問官。伊沢修二は実兄。劇作家飯沢匡は実子。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊沢多喜男」の意味・わかりやすい解説

伊沢多喜男
いざわたきお

[生]明治2(1869).11.24. 長野
[没]1949.8.13. 東京
政治家。東京帝国大学卒業後,内務省に入り和歌山,愛媛,新潟各県の知事,警視総監,台湾総督,東京市長,枢密顧問官などをつとめた。またこの間 1916年貴族院議員に勅選され,41年まで在任した。政党には籍をおかなかったが,大学同期の民政党の浜口雄幸と親しく政友会を嫌った。また岡田啓介内閣の成立を画策するなど政官界に隠然たる勢力をもっていた。伝記に伝記編纂会編『伊沢多喜男』がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊沢多喜男」の解説

伊沢多喜男 いざわ-たきお

1869-1949 明治-昭和時代の官僚,政治家。
明治2年11月24日生まれ。伊沢修二の弟。飯沢匡(ただす)の父。和歌山,愛媛,新潟の県知事をつとめ,大正3年警視総監。5年貴族院議員となり,憲政会系の同成会を結成して反政友会系の指導者となる。13年台湾総督。一時東京市長をつとめる。昭和15年枢密顧問官。昭和24年8月13日死去。81歳。信濃(しなの)(長野県)出身。帝国大学卒。

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367日誕生日大事典 「伊沢多喜男」の解説

伊沢 多喜男 (いざわ たきお)

生年月日:1869年11月24日
大正時代;昭和時代の内務官僚;政治家。枢密顧問官;貴族院議員
1949年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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