伊那谷(読み)いなだに

日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊那谷」の意味・わかりやすい解説

伊那谷
いなだに

長野県南部の天竜川沿いの細長い盆地の呼び名。現在は伊那盆地の呼称に変わっているが、長い習慣上、風土的意味を含めて現在もこの呼び名を使う場合が多い。行政上は、上伊那、下伊那の2郡と、伊那、駒ヶ根(こまがね)、飯田(いいだ)の3市にまたがる。南北約60キロメートル、東西約5キロメートルほどの南北方向の盆地で、中央を天竜川が貫流する。地形的にも、産業上も、また民俗風習上も信濃(しなの)国のなかでは一つの特異な存在を示し、袋小路的な性格をもっていた。平地は天竜川の両岸で地形が違い、右岸は、天竜川の河岸段丘を基盤に、その上に木曽(きそ)山脈から流下する大小の河川の運搬土砂が堆積(たいせき)した扇状地が形成されている。したがって、これらの地形をなす土壌は砂礫(されき)の堆積からなり、これが耕地利用に影響し、とくに水利に恵まれた場所以外は乏水性にも耐えうる桑園とか、果樹園となった。左岸は盆地平坦(へいたん)部の300~400メートルから800メートルほどの高さまで、伊那山地西側の山腹に6~7段の段丘が分布し、これら段丘面の小さな平坦地に集落や耕地が分布する。

 段丘面を利用した水田養蚕が伊那谷のおもな産業であった。伊那市を西へ権兵衛峠(ごんべえとうげ)越えの街道は、伊那の米を木曽谷へ送る唯一の道として伊那節(ぶし)にも歌われている。養蚕は、昭和10年代まで長野県下の一大中心をなし、養蚕農家が経営した組合方式の製糸工場至る所にあった。第二次世界大戦後は、桑畑にかわって二十世紀ナシとリンゴなどの果物、および乳牛飼育が盛んになった。また、飯田市以南になると以上のような産業も姿を消し、丘陵性地形の凹地に水田が散在する以外は目だったものもなく、信州でも代表的な後進地域の一つになっている。気候は長野県下ではもっとも温暖なほうで、東海気候区に類似し、したがって冬季雪は少なく晴天が多い。とくに飯田市以南は長野県下でもっとも暖かく、竹林チャなど暖地性植物が目だち、寒い信州というイメージとは違った風土色をかもし出している。

[小林寛義]

沿革

近世、谷の南部は飯田藩、北部は高遠藩(たかとおはん)の統治下にあり、その間の天領は飯島陣屋で統轄した。伊那谷は県南に偏るため、歴史時代から、県の北部よりも、県外である三河(愛知県)や名古屋方面と日常生活の関連が深い。古代の東山道(とうさんどう)は、下伊那郡阿智(あち)村の神坂(みさか)峠で県下に最初に入り、伊那谷を北上し、また中世は甲斐(かい)(山梨県)の武田と、尾張(おわり)(愛知県)、三河の織田、徳川に交互に統治された。近世の三州街道、秋葉街道も東海方面との生活物資の交流が重要な使命であった。しかし、伊那谷も、1975年より県下初の高速道である中央自動車道が開通し、名古屋へは1時間半の行程になり、特産物二十世紀ナシやリンゴの出荷、あるいは名古屋資本によるホテル、大型スーパー店や工場の進出など、にわかに中京の影響力が増してきている。

 一方、観光面からみると、三州街道に沿う阿智村浪合(なみあい)や平谷(ひらや)、根羽(ねば)の各村には近世の馬宿の民家がいまも残り、また他地方との交流が少なかったため、郷土芸能として優れたものが現在まで保存されている。その代表的なものは阿南(あなん)町和合の念仏踊(わごうのねんぶつおどり)、天竜村坂部の冬祭(さかべのふゆまつり)である。阿南町新野(にいの)の雪祭りと盆踊り、天竜川支流遠山(とおやま)渓谷の遠山郷の霜月祭(しもつきまつり)は国指定重要無形民俗文化財である。これらはいずれも伊那谷の周辺部にある山間村に残る伝統的祭りであるが、盆地の飯田市付近にも操り人形や、茶の湯などがある。また飯田の近郊には、近世からの番傘や元結(もとゆ)いの流れをくむ水引(みずひき)のような伝統産業もある。自然景観では、天竜峡、鵞流(がりゅう)峡、万古(まんご)渓谷、南宮峡などの峡谷美や、萱野(かやの)、駒ヶ根、親田(おやた)、茶臼山(ちゃうすやま)高原もある。また、高遠の高遠城跡(サクラの名所)や絵島の墓、駒ヶ根の光前寺(こうぜんじ)、飯田の元善光寺(もとぜんこうじ)も有名。

[小林寛義]

『岩島淳著『伊那谷百年の歩み』(1967・月刊信州社)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の伊那谷の言及

【伊那盆地】より

…長野県南部,赤石山脈の前山である伊那山地と木曾山脈にはさまれた地溝盆地。地元では古来伊那谷と呼ぶ。北端の辰野町から南端の飯田市の天竜峡まで南北60kmにおよぶが,東西の幅は4~15kmほどとせまく,標高は400~800mにわたっている。…

※「伊那谷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」