日本歴史地名大系 「佐呂間町」の解説 佐呂間町さろまちよう 北海道:網走支庁佐呂間町面積:四〇四・九九平方キロ昭和三一年(一九五六)、佐呂間町が若佐(わかさ)村を合併して成立した常呂(ところ)郡の自治体。網走支庁管内のほぼ中央北部、常呂郡の北西端に位置し、東は同郡常呂町、南は北見市・同郡留辺蘂(るべしべ)町、西は紋別郡湧別(ゆうべつ)町・生田原(いくたはら)町に接し、北はサロマ湖に面する。留辺蘂町内の山間に発した佐呂間別(さろまべつ)川が、武士(ぶし)川・仁倉(にくら)川などの支流を合せながらほぼ中央部を南西から北東へ貫流してサロマ湖へ入り、西部を床丹(とこたん)川が北流してサロマ湖に入る。南東常呂町境には佐呂間山(五一五・四メートル)、南の北見市境には仁頃(にころ)山(八二九・二メートル)がそびえる。サロマ湖南岸を国道二三八号、南部を国道三三三号が東西に横断する。近世は初めソウヤ場所、のちモンベツ場所のうち。 佐呂間町さろまちよう 北海道:網走支庁佐呂間町佐呂間町昭和二八年(一九五三)から同三一年まで存続した常呂(ところ)郡の自治体。佐呂間村が昭和二八年四月町制を施行し成立。このとき字中佐呂間を佐呂間に、床丹(とこたん)を若里(わかさと)に改編した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐呂間町」の意味・わかりやすい解説 佐呂間〔町〕さろま 北海道北東部,サロマ湖南岸にある町。 1953年町制。 56年若佐村と合体。湖内では,ホタテガイ,カキ養殖が盛ん。南岸の佐呂間別川流域は,1901年以降の植民区画村で,カボチャ,テンサイ,ジャガイモなどの栽培と酪農が行われる。中心集落の佐呂間に乳製品工場がある。網走国定公園に属する湖岸は,水泳,キャンプの適地。面積 404.94km2。人口 4875(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by