ある産業の発展過程において,初期段階では生産に必要な技術・熟練等が不足しているため,その産業は他国と競争することができない。しかし,もし政府が一定期間その産業を保護し,他国との競争から隔離するならば,その産業は,必要な技術・熟練を得,将来,国際市場において自立することができるかもしれない。幼稚産業とは,そのような新しい産業のことをいう。
幼稚産業保護論は,古くは18世紀末にA.ハミルトン,19世紀半ばにF.リストによって唱えられ,J.S.ミルやA.マーシャルなど多くの自由貿易主義者にも受け入れられてきたもので,保護貿易の正当化の議論のなかで,経済学的に意味のある唯一のものとされている。現在の発展途上国のみならず先進工業国も,過去においては幼稚産業保護論のもとに多くの産業を保護してきた。日本も例外ではなく,その当否は別にして,戦後の自動車産業の保護もその一つとして数えることができる。
幼稚産業保護論は,現在と将来の間での資源配分の問題になる。すなわち,幼稚産業への投資は,現在その産業が国際的に競争できないため,短期的には損失をもたらす。が,産業が成長した将来においては利益を生む。保護により産業を育成するならば,自由貿易からの利益を失うことから被る損失も考慮に入れなければならない。一国全体からみて産業を育成すべきかどうかは,国民が現在被る損失と将来享受できる利益との比較に基づき決定されるべきである。ただ単に産業が将来成長するということでなく,将来の利益が現在の損失を上回る産業だけを育成すべきである。
幼稚産業の育成が社会的に望ましいとしても,なぜ保護が必要かという問題がある。たとえ幼稚産業に投資を行う企業が現在損失を被るとしても,その企業が将来受ける利潤が現在の損失を上回るならば,私企業は,みずから幼稚産業に投資を行い,必ずしも政府による保護を必要としない。しかし,将来に対する見通しが明確でなく,また資金調達が通常容易でないため,幼稚産業への投資は通例不十分なものとなる。さらには,幼稚産業の成長により経済全体として利益を受けるとしても,私企業が受ける将来の利潤が不十分であるならば,企業は投資を行わないであろう。たとえば,初期段階において企業が自己負担で熟練労働者を育成したり,技術を開発した場合,将来において初期の投資からの利益を専有することができるとは限らない。労働者の移動,開発技術の流出によって,その投資の利益の一部が他の企業に流出してしまうからである。
→保護貿易
執筆者:藪下 史郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… しかし自由貿易体制は,工業先進国イギリスをさらに発展させたが,工業後進国の発展にとっては必ずしも望ましい結果がもたらされなかった。このためドイツやアメリカでは,工業化を図るために幼稚産業の保護を目的とする高関税政策がとられることになり,その後フランスにも波及する。高関税による保護貿易は,第1次大戦後の不況のなかで一層の拍車がかけられ,幼稚産業のみならず斜陽産業にまで保護貿易政策が広がった。…
※「幼稚産業」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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