出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
鎌倉末期の武士。信泰(のぶやす)の子。『太平記(たいへいき)』には義光、『尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)』には義日(よしてる)とある。通称彦四郎。従(じゅ)五位下左馬権頭(さまごんのかみ)となる。元弘(げんこう)の変(1331)の攻防に際し、子義隆(よしたか)とともに護良(もりよし)親王に従った。笠置(かさぎ)(京都府相楽(そうらく)郡笠置町)が落ちたのち、高野山(こうやさん)に逃れる親王を助けた。1333年(元弘3・正慶2)親王のこもる吉野城(奈良県吉野郡)に幕府軍の攻撃がかけられた際、親王の身代りになって自害し、親王を落ち延びさせた。のち従三位(じゅさんみ)を贈られた。
[田辺久子]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
(三田武繁)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…73年官幣中社に列せられた。境内に親王の忠臣村上義光,侍女南の方をまつる村上社,南方社の両摂社がある。また史実ではないが,親王の土牢と伝えるものがある。…
…《義経記》でも源義経が切腹してから絶命するまでかなりの時間がある。腹膜を破って小腸を出すことにむしろ切腹の意義があり,これが誇張されれば《太平記》の村上義光(よしてる)のように,はらわたをつかみ出して投げたりする。伝承上最初に切腹したのは淡海(おうみ)の神という女性で,夫に対する恨みと怒りで腹をさき,はらわたを出したが死ねずに沼に入水したので,この腹辟(はらさき)の沼のフナなどには今も五臓がないという(《播磨国風土記》賀毛郡)。…
※「村上義光」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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