信願寺(読み)しんがんじ

日本歴史地名大系 「信願寺」の解説

信願寺
しんがんじ

[現在地名]水戸市緑町一丁目

偕楽かいらく園の北方にある。徳池山蓮性院と号し、浄土真宗本願寺派本尊阿弥陀如来。寺伝によると開基の唯信房は俗称を幡谷信勝といい、茨城郡幡谷はたや(現東茨城郡小川町)城主であった。建保四年(一二一六)鹿島神宮参拝途中の親鸞と会い、教化を受けて貞永元年(一二三二)幡谷に道場を開いたのが当寺の始まりといい、当寺は二十四輩の二三番に選ばれている。享禄元年(一五二八)唯空の代に久慈郡へ移り、天正七年(一五七九)唯正のとき水戸城下の藤沢小路ふじさわこうじ(現梅香)に移った。さらに同一八年てら(現金町三丁目)へ、慶長一〇年(一六〇五)並松なみまつ(現栄町)に移転した。近世前期には真宗大谷派で粟野山と号したと伝える。


信願寺
しんがんじ

[現在地名]神戸町末守

真宗大谷派に属し、妙響山と号する。本尊は最澄の作と伝える阿弥陀如来。天明四年(一七八七)寺社奉行に提出した由緒之覚(宮川文書)によると、弘仁年中(八一〇―八二四)神戸に日吉神社が勧請された際に最澄が開基となって一宇を建て、新響山波止寺末守弘仁院と号した。末守の二字が末守すえもり村の村名になったという説がある。文明年中(一四六九―八七)天台宗から真宗に改宗した。


信願寺
しんがんじ

[現在地名]大間町奥戸

春日かすが神社の南に位置する。林清山と号し、浄土宗。本尊は阿弥陀如来。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」に「信願寺 林清山田名部常念寺末寺、浄土」とある。明暦二年(一六五六)の草創で、開山は僧覚源、開基は山田伊右衛門という(下北半嶋史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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