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倉田百三 くらた はくぞう

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美術人名辞典の解説

倉田百三

劇作家・評論家。広島県生。西田天香の〈一燈園〉に入り、宗教・文学に専念、千家元麿・犬養健らと同人雑誌『生命の川』を発刊した。次いで『出家とその弟子』で一躍有名になり、大正宗教文学流行の機縁を作った。戯曲に『歌はぬ人』、評論集に『愛と認識との出発』等がある。昭和18年(1943)歿、53才。

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デジタル大辞泉の解説

くらた‐ひゃくぞう〔‐ヒヤクザウ〕【倉田百三】

[1891~1943]劇作家・評論家。広島の生まれ。西田幾多郎に傾倒し、京都の「一灯園」に入って思索的生活を体験。評論集「愛と認識との出発」、戯曲「出家とその弟子」「俊寛」「布施太子の入山」など。

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百科事典マイペディアの解説

倉田百三【くらたひゃくぞう】

劇作家,評論家。広島県生れ。肺を病んで一高中退。1916年から1917年にかけて《白樺》(白樺派)の衛星誌《生命の川》に戯曲《出家とその弟子》を発表,続く《俊寛》《布施太子の入山》などで大正期宗教文学の代表的作家となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

倉田百三 くらた-ひゃくぞう

1891-1943 大正-昭和時代前期の劇作家,評論家。
明治24年2月23日生まれ。一高在学中に西田幾多郎(きたろう)の影響をうける。大正6年戯曲「出家とその弟子」を刊行し,反響をよぶ。10年評論集「愛と認識との出発」を発表,当時の青年の必読書となる。15年「生活者」を創刊,主宰。晩年は国家主義にかたむいた。昭和18年2月12日死去。53歳。広島県出身。
【格言など】純な青年時代を過さない人は深い老年期を持つ事も出来ないのだ(「出家とその弟子」)

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世界大百科事典 第2版の解説

くらたひゃくぞう【倉田百三】

1891‐1943(明治24‐昭和18)
戯曲家,評論家。広島県生れ。生家の家業は呉服商。三次(みよし)中学を経て一高に入学。西田幾多郎《善の研究》の影響を受け《一高校友会雑誌》に論文を発表。1913年結核にかかり一高を退学,療養生活ののち西田天香の一灯園に入る。16年から17年にかけて《白樺》の衛星誌《生命の川》に戯曲《出家とその弟子》を発表,岩波書店より刊行され,広く読まれた。その後《白樺》誌上で活躍,書きためていた評論,感想をまとめて《愛と認識との出発》と題し,21年岩波書店より刊行した。

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大辞林 第三版の解説

くらたひゃくぞう【倉田百三】

1891~1943) 劇作家・評論家。広島県生まれ。戯曲「出家とその弟子」により求道的な文学者として出発、白樺派と交流を深め社会問題に関心を寄せたが晩年は超国家主義に傾いた。戯曲「俊寛」、論文集「愛と認識との出発」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

倉田百三
くらたひゃくぞう

[生]1891.2.23. 広島,庄原
[没]1943.2.12. 東京
劇作家,評論家。病のため第一高等学校を中退 (1913) ,帰郷してキリスト教を中心とする思索生活に入った。 1916~17年『白樺』の衛星誌『生命の川』に戯曲『出家とその弟子』を連載,一躍有名作家となって,大正期宗教文学ブームの先駆をなした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

倉田百三
くらたひゃくぞう
(1891―1943)

戯曲家、評論家。明治24年2月23日広島県生まれ。1910年(明治43)旧制第一高等学校に入学したが結核で中退。のちカリエスの併発もあって生涯の多くを闘病に過ごした。西田幾多郎の『善の研究』に傾倒、西田天香(てんこう)の一燈園生活も経験。1916年(大正5)から翌年にかけて白樺(しらかば)派の衛星誌『生命の川』に戯曲『出家とその弟子』を連載、1917年単行本となり大きな反響をよんだ。以後『歌はぬ人』『布施太子之入山』などの宗教的倫理的作品を刊行、『父の心配』『赤い霊魂』などには社会的視野の広がりを示し、1926年に『生活者』を創刊、求道的青年の知的連帯の場となった。一方『愛と認識との出発』『静思』『超克』『絶対的生活』『生活と一枚の宗教』などの論集を発刊し、情欲に身を焼く自己を対極として、キリスト教、仏教、神道(しんとう)にも及ぶ求道的遍歴に思想を深め、独自の地歩を固めた。晩年には『祖国への愛と認識』『日本主義文化宣言』などで大乗的生命主義を説き、ファシズム正当化の理論づけを果たした。書簡集『青春の息の痕(あと)』や農本主義青年を主人公とした『浄(きよ)らかな虹(にじ)』などの小説もある。昭和18年2月12日没。[高橋新太郎]
『『倉田百三選集』全5巻(1953~54・春秋社) ▽鈴木範久著『倉田百三――近代日本人と宗教』(1970・大明堂)』

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世界大百科事典内の倉田百三の言及

【出家とその弟子】より

倉田百三の戯曲。1916年(大正5)より17年にかけて《白樺》衛星誌の一つでもあった《生命の川》に発表。…

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