中国,金の詩人。金は,1115年(収国1)女真人(満州族)によって建国され,1126年(天会4)北宋を倒して中国の北方に君臨した王朝であるが,元好問は唐の詩人元結(719-772)を祖先に持つ漢民族であった。太原府忻(きん)州秀容県(今の山西省忻県の地)に生まれ,字は裕之,号は遺山。父は元徳明といったが(実名は不明),生後7ヵ月のとき,叔父の元格の養子となった。20歳ごろから以降,何度も金の科挙(官吏採用試験)に受験したが合格せず,32歳のとき,ようやく進士に及第,35歳のとき詞科(高級試験)に合格して,はじめて権国史院編修に任ぜられた。その後内郷(河南省)の県令(38歳),尚書都省掾(えん)(42歳),左司都事(43歳)などを経たが,43歳の12月,都の汴京(べんけい)(河南省開封市)がモンゴルの攻撃を受け,哀宗は河北に出奔,45歳の正月,ついに金は滅亡した。その前後,元好問は亡国の悲劇と民衆の苦悩を題材にしてすぐれた詩を数多く作った。以後自由詩人として,金の文学伝統を後世に残すべく努力し,《金史》の編集をも志したが,その方は果たさずして68歳で没した。陶淵明,杜甫,蘇軾(そしよく)の詩をよく学んだが,特に杜甫の詩を愛好し,作中に杜甫の詩句を引くもの少なくなく,しばしば杜甫をしのぐ結晶度を示す。12世紀以降の中国文学史において,南宋の陸游(放翁)とともに,最初にとりあげるべき重要な詩人である。
執筆者:鈴木 修次
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中国、金の文人。字(あざな)は裕之(ゆうし)、号は遺山(いざん)。忻州(きんしゅう)(山西省)の人。幼時より学に志し、長じて隠逸の学者赫天挺(かくてんてい)に師事。32歳のとき科挙合格、国史編修官、地方官を歴任。1232年、蒙古(もうこ)軍の国都汴京(べんけい)(開封)攻囲の際には左司都事(文書官)として中央にあった。やがて34年亡国、そして虜囚と体験を重ねるが、そのなかから生まれた凄切(せいせつ)きわまりない慷慨(こうがい)の歌謡は「喪乱詩」として名高い。金朝覆滅後は遺民として著作に専念する。金史の撰述(せんじゅつ)を企てて各地を歴遊、また金一代の詩の総集『中州集』を編んだ。いずれも蒙古支配下で滅びゆく金朝の事跡、文化の保持を意図したものである。元末に成る『金史』は彼の草稿によるところが多い。詩文は『遺山先生文集』40巻に残る。
[小栗英一]
『小栗英一注『中国詩人選集2集9 元好問』(1963・岩波書店)』▽『鈴木修次著『漢詩大系20 元好問』(1965・集英社)』
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… 南宋のころ北方を占拠した金とそれにかわって全土を支配した元,二つの異民族の統治の下でも漢民族の文化は維持された。金末・元初の元好問が代表的な詩人で,南宋の学者に劣らぬ博識をそなえていた。彼の作は晦渋ではなく,卑俗におちいらず,格調の高いものである。…
…この場合の〈楽府〉は,詞をいう。金の元好問が,1233年(天興2),金の滅亡を前にして,王朝の文化を後世に残すために編集したもの。帝王以下,金一代の詩人249人の作品を,それぞれに小伝をつけて採録したもの。…
※「元好問」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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