中国,中唐の詩人。字は微之。河南(河南省洛陽)の人。15歳で明経科に抜擢(ばつてき)された秀才で,806年(憲宗の元和1),皇帝による特別試験に首席及第。初め宦官(かんがん)に反抗したが,のちには追従し,後世非難を受けた。官界での地位は宰相に至ったが,政争に絡んで罷免され,地方官を歴任したのち,武昌(湖北省武漢市)節度使として卒した。白居易と親交を結び,元白と併称され,2人の間で贈答唱和した多くの詩が残る。元白に代表される,難解を排してもっぱら平易な表現を目ざす詩風を,2人の活躍した時代にちなんで〈元和(げんな)体〉と称することがある。また白居易とともに新楽府運動の中心的存在。詩人としての功績だけではなく,伝奇小説の作家としても知られ,《鶯鶯伝(おうおうでん)》は,元曲の傑作《西廂記》の基づくところとなった。いま《元氏長慶集》60巻が伝わる。
執筆者:荒井 健
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中国、中唐の文人。宰相にもなった。字(あざな)は微之(びし)。後魏(こうぎ)の王室の子孫であったが、没落して母の手で育てられた。28歳で皇帝の親試に及第し、才名を響かせた。ときに一群の楽府詩(がふし)をつくり、政治風刺を主題として新しい分野を開いた。白居易(はくきょい)とも深く交わり、その唱和の詩に次韻(じいん)形式を導入して世の耳目をそばだて、「元和体」という時代様式を確立した。文辞においても新体の散文を推進し、『鶯鶯伝(おうおうでん)』は短編小説の領域で指導的な役割を果たした。すべてその文学は、先鋭な感覚と才能とに支えられ、時代の動向に沿いつつ、伝統からの解放を試みたもので、後代にも多くの影響を与えた。わが王朝時代にも、『句題和歌』『千載(せんざい)佳句』『和漢朗詠集』によってもてはやされた。『元氏長慶集』60巻がある。
[花房英樹]
『花房英樹編『元稹研究』(1977・彙文堂書店)』▽『前川幸雄著「元・白唱和詩の種々相」(『中国文学の世界5』所収・1981・笠間書院)』
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…社会問題を多く歌う古体詩は,白居易の新楽府(しんがふ)のために道を開き,詩人の精神的苦悩を多く歌う近体詩は,晩唐の李商隠に大きな影響を与えている。杜甫の死後半世紀,中唐の元稹(げんしん)が初めて絶対的な尊崇の念を表白し,11世紀北宋時代に入るとその地位は不動のものとなった。日本では室町時代にようやく注目され始め,文学的に最大の影響を受けたのは芭蕉で,近代では島崎藤村が愛読者であった。…
…その作風は難解さを避け,平易な表現をめざすことを特色としており,しばしば当時の俗語をも作中に取り入れている。詩風の近い親友の元稹(げんしん)とともに〈元白〉と並称されるが,宋の文豪蘇軾(そしよく)には〈元軽白俗〉と酷評された。 白居易は生前から社会の上層下層を問わず多数の読者をもった詩人で,彼の名声は朝鮮,さらに日本にまで伝えられた。…
…前集は《白氏長慶集》,後集がすなわち《白氏文集》で,両者を《白氏文集》と総称する。前集は824年(長慶4)に親友の元稹(げんしん)が編纂したもので,詩を諷諭,閑適,感傷,律詩の順序に分類配列して,そのあとに賦と散文を収める。著名な〈新楽府(しんがふ)〉は諷諭に,《長恨歌》《琵琶行》は感傷に属する。…
※「元稹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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