八大山人(読み)はちだいさんじん(英語表記)Ba-da-shan-ren

  • 八大山人 Bā dà shān rén

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

[生]天啓6(1626).江西南昌
[没]康煕44(1705)
中国,明末,清初の遺民画家。明の王族として生れた。俗姓は朱,名はとうというが明らかではない。明の滅亡後僧となり伝綮,雪个,人屋,个山 (かざん) など多くの法名と号をもった。高僧として多くの弟子がいたが,のち県令に捕えられ発狂 (一説に発狂を装ったともいわれる) 。脱走して南昌に帰り,書画をかいて過した。人の心に鋭く訴え,明の沈周徐渭に触発された花鳥画董其昌の影響を受けた山水画も,ともに著しく個性的で簡略な筆致を示し,豊かな表現内容をもつ。代表作は『安晩帖』 (泉屋博古館) 。

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百科事典マイペディアの解説

中国,明末清初の画家。名は朱【とう】(しゅとう)。明の王族の出身で,明の滅亡後となって奉新山に隠棲(いんせい),書画と詩酒を友に生活し,狂人のような行動が多かった。逸民の抵抗精神を絵画にも表出,特異な作風で山水画花鳥画を描いた。代表作《山水花鳥画冊》。
→関連項目呉昌碩石濤南宗画

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世界大百科事典 第2版の解説

1626‐1705
中国,清代初期の画家。明朝王室の後裔で,寧藩弋陽(よくよう)府の王族として南昌(江西省)に生まれる。名は中桂とも(とうりん)とも考証されるが,朱耷(しゆとう)が通行している。字は雪个(せつこ)。明の諸生となったが,1645年(順治2),20歳のときに明朝が滅んで寧藩に清軍が侵攻すると,南昌東南の進賢県介岡の灯社に隠れて僧となり,のち師の宏敏を継いで奉新県新興郷の耕香庵の法嗣となる。法名は伝(でんけい)。

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精選版 日本国語大辞典の解説

中国明末清初の画僧。姓は朱、名は耷(とう)。明の王族出身で、明滅亡後、出家し、後、故郷の南昌にもどり奇行を重ねた。晩年、好んで花鳥山水を描き、自由奔放な筆致で独自の画風を作り上げた。(一六二六‐一七〇五

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

1625〜?
明末〜清初期の文人画家
姓名は耷 (しゆとう) 。江西の人。石濤 (せきとう) とともに形式主義的な南宗画に対抗し,個性を重んずる清代の表現主義的な文人画先駆者となった。

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世界大百科事典内の八大山人の言及

【清代美術】より

…苦悩や絶望すらも自己の享楽としたオプティミズムと国力の最隆盛期を迎えた商業都市の粋な美しさ,既成の画法にとらわれぬ奔放で野生的な筆描が彼らの特色である。また康熙年間は八大山人,石濤(せきとう),傅山(ふざん),徐枋(じよぼう)など前王朝の遺民が画家として活躍した時期でもある。なかでも八大山人と石濤の2人は明朝宗室の末裔にあたり,共に僧籍に入ったが,既成の権威を無視した独自の表現により,亡国の憂憤を画面にぶつけることで,世俗を超越したきわめて独創的な画風を展開した。…

※「八大山人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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