八大山人(読み)ハチダイサンジン(英語表記)Bā dà shān rén

デジタル大辞泉 「八大山人」の意味・読み・例文・類語

はちだい‐さんじん【八大山人】

[1626~1705]中国、清初の画家南昌江西省)の人。明の王族出身あざな雪个せつこ別号伝綮でんけい朱耷しゅとうとも。

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精選版 日本国語大辞典 「八大山人」の意味・読み・例文・類語

はちだい‐さんじん【八大山人】

  1. 中国明末清初の画僧。姓は朱、名は耷(とう)。明の王族出身で、明滅亡後、出家し、後、故郷の南昌にもどり奇行を重ねた。晩年、好んで花鳥山水を描き、自由奔放な筆致で独自の画風を作り上げた。(一六二六‐一七〇五

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改訂新版 世界大百科事典 「八大山人」の意味・わかりやすい解説

八大山人 (はちだいさんじん)
Bā dà shān rén
生没年:1626-1705

中国,清代初期の画家。明朝王室の後裔で,寧藩弋陽(よくよう)府の王族として南昌(江西省)に生まれる。名は中桂とも統(とうりん)とも考証されるが,朱耷(しゆとう)が通行している。字は雪个(せつこ)。明の諸生となったが,1645年(順治2),20歳のときに明朝が滅んで寧藩に清軍が侵攻すると,南昌東南の進賢県介岡の灯社に隠れて僧となり,のち師の宏敏を継いで奉新県新興郷の耕香庵の法嗣となる。法名は伝綮(でんけい)。その後,55歳のとき,臨川県令胡亦堂(こえきどう)に召喚され抑留中に発狂し,南昌に戻り還俗。个山,人屋,驢山(ろざん)などと号して画作を始め,59歳ごろより八大山人を号し,花卉(かき),松石,鳥魚などの小幅個性的画風をひらき,晩年は山水や墨荷を得意とした。同世代の文人邵長蘅(しようちようこう)(1637-1704)の会見にもとづく《八大山人伝》(1688ころ)がある。作例は,早期の伝綮の落款がある《写生冊》(1659。台北故宮博物院)。晩年の傑作に《安晩冊》(1694。京都泉屋博古館)などがある。詩書にも秀でていたが,その詩は神秘的かつ風刺に富み,書は禿筆でもって秀健な書風であった。南昌郊外の道観青雲譜が八大山人記念館である。
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百科事典マイペディア 「八大山人」の意味・わかりやすい解説

八大山人【はちだいさんじん】

中国,明末清初の画家。名は朱【とう】(しゅとう)。明の王族の出身で,明の滅亡後僧となって奉新山に隠棲(いんせい),書画詩酒を友に生活し,狂人のような行動が多かった。逸民の抵抗精神を絵画にも表出,特異な作風で山水画花鳥画を描いた。代表作《山水花鳥画冊》。
→関連項目呉昌碩石濤南宗画

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「八大山人」の意味・わかりやすい解説

八大山人
はちだいさんじん
Ba-da-shan-ren

[生]天啓6(1626).江西,南昌
[没]康煕44(1705)
中国,明末,清初の遺民画家。明の王族として生れた。俗姓は朱,名はとうというが明らかではない。明の滅亡後僧となり伝綮,雪个,人屋,个山 (かざん) など多くの法名と号をもった。高僧として多くの弟子がいたが,のち県令に捕えられ発狂 (一説に発狂を装ったともいわれる) 。脱走して南昌に帰り,書画をかいて過した。人の心に鋭く訴え,明の沈周徐渭に触発された花鳥画,董其昌の影響を受けた山水画も,ともに著しく個性的で簡略な筆致を示し,豊かな表現内容をもつ。代表作は『安晩帖』 (泉屋博古館) 。

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旺文社世界史事典 三訂版 「八大山人」の解説

八大山人
はちだいさんじん

1625〜?
明末〜清初期の文人画家
姓名は朱耷 (しゆとう) 。江西の人。石濤 (せきとう) とともに形式主義的な南宗画に対抗し,個性を重んずる清代の表現主義的な文人画の先駆者となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「八大山人」の意味・わかりやすい解説

八大山人
はちだいさんじん

朱耷

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世界大百科事典(旧版)内の八大山人の言及

【清代美術】より

…苦悩や絶望すらも自己の享楽としたオプティミズムと国力の最隆盛期を迎えた商業都市の粋な美しさ,既成の画法にとらわれぬ奔放で野生的な筆描が彼らの特色である。また康熙年間は八大山人,石濤(せきとう),傅山(ふざん),徐枋(じよぼう)など前王朝の遺民が画家として活躍した時期でもある。なかでも八大山人と石濤の2人は明朝宗室の末裔にあたり,共に僧籍に入ったが,既成の権威を無視した独自の表現により,亡国の憂憤を画面にぶつけることで,世俗を超越したきわめて独創的な画風を展開した。…

※「八大山人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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