中国,清代初期の画家。明朝王室の後裔で,父は靖江王朱亨嘉(しゆこうか)。俗名は朱若極,法名は原済,済。号は清湘陳人,大滌子(だいてきし),苦瓜(くか)和尚,小乗客,瞎(かつ)尊者など。靖江王府(広西チワン族自治区桂林)に生まれ,4歳のとき明朝の滅亡に遭い,父王が殺され,廷臣に伴われて湖北省武昌に逃げて出家。21歳で松江九峯で臨済宗天童派の木陳道忞(どうびん),旅菴木月に禅を学ぶ。25~39歳を安徽省宣城の敬亭山広敬寺を住持し,施閏章(しじゆんしよう),呉晴嵒(ごせいがん),梅清・梅庚兄弟ら名士と詩画を通じて交友し,黄山に遊んでその景勝を描き,のち〈黄山画家〉の一人と称される。39~48歳の10年間,南京長干寺一枝閣の住持となる。この間,康煕帝の江南巡幸に際して謁見し,勅旨により画作を奉上。のち北京にのぼり3年間滞在して博爾都(はくじと),耿(こう)信公ら満州貴族の庇護により古画を学び,内廷供奉の王原祁(おうげんき)と共作を行った。51歳で江南に戻って以後は,揚州に大滌草堂を建てて定着し,道学と画作に専念した。晩年に親交のあった李驎の《虬峯(きゆうほう)文集》に〈大滌子伝〉がある。早期には明末に流行した董其昌(とうきしよう)の遒媚(しゆうび)な作風を排除し,白描画の道釈画や渇筆体の山水画を描き,中年には安徽派や金陵派の影響を受け,晩年の揚州期にそれらを総合した独自の画風の傑作を描いた。代表作は,早期の《十六羅漢図巻》(1667,メトロポリタン美術館),中期の《細雨虬松図》(1687,上海博物館),晩期の《廬山(ろざん)観瀑図》《黄山図巻》(1699,京都,泉屋(せんおく)博古館)など。晩年の画論の著《画語録》がある。
執筆者:新藤 武弘
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中国、清(しん)初の画家。俗名朱若極。石濤は字(あざな)。出家して法名を道済(どうさい)または原(げん)(元)済(さい)。号は清湘陳人(せいしょうちんじん)、大滌子(だいてきし)など、晩年には苦瓜和尚(くがおしょう)、瞎(かつ)尊者とも号した。手がけた画(え)は広く、道釈、四君子(しくんし)、花鳥、山水にわたったが、とくに山水に優れ、既成の方法にとらわれない独自の個性的画風を創出し、格調ある作品を描いた。明(みん)王室出身の遺民画家であるが、康煕(こうき)帝に二回謁見して画作を奉上している。靖江王朱亨嘉(しゅこうか)の子として王府(桂林(けいりん))に生まれ、幼年期に明朝の滅亡に遭遇、武昌(ぶしょう)(湖北省)に逃れ、出家して書画を学ぶ。21歳、松江(しょうこう)で旅菴本月について禅を修め、25歳から39歳まで宣城(安徽(あんき)省)の寺に住して梅清(ばいせい)ら名士と交わり、また黄山の景勝に親しむ。次の10年を南京(ナンキン)長干寺一枝閣に過ごしたのち、北京(ペキン)に上り古画を学び王原祁(おうげんき)と共作を行った。51歳(1693)以降、揚州に定住して画作で生計をたてた。代表作は『細雨虬松(きゅうしょう)図』(1687・上海(シャンハイ)美術館)、『黄山図巻』『廬山観瀑(ろざんかんばく)図』(いずれも京都・泉屋博古(せんおくはくこ)館)など、著作に『画語録』がある。
[星山晋也]
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生没年不詳
清初の画家。明の皇族の子孫で,広西省梧州(ごしゅう)の出身。石濤は字,号は大滌子(だいできし),苦瓜和尚などという。明の滅亡後は出家。山水花鳥画に長じ,個性的な南宗画をよくして八大山人と並び称せられた。
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…南北宗論は,中国絵画を南宗と北宗に分け,南宗の正統性を論じたが,南宗はまた文人画でもあった。この説はひじょうに流行し,以後の画論はことごとくこれを踏襲し,倣古形式主義を醸成したが,石濤《苦瓜和尚画語録》はこれを批判し,逆に独創を主張した。ほかに画譜の集大成として清初の《芥子園(かいしえん)画伝》があり,画論,画史の集大成として,康熙帝勅撰の《佩文斎(はいぶんさい)書画譜》がある。…
…苦悩や絶望すらも自己の享楽としたオプティミズムと国力の最隆盛期を迎えた商業都市の粋な美しさ,既成の画法にとらわれぬ奔放で野生的な筆描が彼らの特色である。また康熙年間は八大山人,石濤(せきとう),傅山(ふざん),徐枋(じよぼう)など前王朝の遺民が画家として活躍した時期でもある。なかでも八大山人と石濤の2人は明朝宗室の末裔にあたり,共に僧籍に入ったが,既成の権威を無視した独自の表現により,亡国の憂憤を画面にぶつけることで,世俗を超越したきわめて独創的な画風を展開した。…
※「石濤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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