日本歴史地名大系 「八幡新田」の解説 八幡新田はちまんしんでん 三重県:員弁郡東員町八幡新田[現在地名]東員町八幡新田員弁川の支流戸上(とがみ)川の左岸にあり、北山田(きたやまだ)村の北西に位置する。慶安郷帳(明大刑博蔵)にはまだみえず、元禄郷帳に至って「大木村枝郷」として記載されている。元禄郷帳における石高は一八〇・六六七石であるが、「員弁雑志」は「当新田開発ノ時、大木村高百五拾石引分当村ノ高トス」と記している。また、村名の由来については、同書に「名ノ起ハ大木村産土八幡宮御鎮座ノ近辺ナル故ニ八幡ト云」とある。江戸時代を通じて桑名藩領。文政一〇年(一八二七)の桑名領郷村案内帳によれば、家数二七、人数一四八、牛一一。 八幡新田はちまんしんでん 新潟県:新井市八幡新田[現在地名]新井市上八幡新田(かみはちまんしんでん)籠町南葉(かごまちなんば)山の東山麓、矢代(やしろ)川左岸に位置し、矢代川支流の内(うち)川より用水堰によって灌漑される。天和三年郷帳に高八石八斗余とある。元禄郷帳も同高が記され、五日市(いつかいち)村枝郷と注記される。 八幡新田やわたしんでん 新潟県:新発田市八幡新田[現在地名]新発田市八幡新田・六日町(むいかまち)八幡村の西北に位置し、北の山崎(やまざき)村との間に六日町の集落がある。新発田藩領で、正保国絵図には村名のみ記される。元禄郷帳で一〇三石、天保郷帳では一四九石一斗余となるが、旧高旧領取調帳では八幡新田一一八石九斗余と六日町新田三〇石一斗余に分けて記される。ちなみに寛文七年と推定される御領内見分之書付(貴船家文書)によると、八幡新田は一三戸・五九人、六日町新田は六戸・三七人。 八幡新田はちまんしんでん 新潟県:中頸城郡吉川町八幡新田[現在地名]吉川町下八幡(しもはちまん)梶(かじ)村の南西にあり、南は西野島(にしのしま)村に接する。天和三年郷帳によれば高一一五石九斗余。元禄郷帳に梶村枝郷と記される。寛保四年(一七四四)の潟町蔵組五人組帳(明治大学刑事博物館蔵)によると、高持が八人(うち五人は梶村掛持)、高不持が二人いた。 八幡新田はちまんしんでん 千葉県:印西市八幡新田[現在地名]印西市発作(ほつさく)大森(おおもり)村の西に位置。寛文一一年(一六七一)からの手賀(てが)沼の新田開発に伴う新田で、享保一五年(一七三〇)に検地がなされた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by