精選版 日本国語大辞典 「八軒屋」の意味・読み・例文・類語 はちけんや【八軒屋・八間屋】 ( 「はっけんや」とも ) 大阪市中央区天満橋京町、天満橋から天神橋に至る間の淀川の南岸にあった地名。江戸時代、大坂から伏見に通う乗合船(淀船)の発着所であり、また、岡場所であった。[初出の実例]「八間屋(ケンヤ)に漕よせたれば」(出典:仮名草子・浮世物語(1665頃)二) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「八軒屋」の解説 八軒屋はちけんや 兵庫県:洲本市洲本城下八軒屋[現在地名]洲本市栄町(さかえまち)三―四丁目江国(こうこく)寺の西側一帯、北は洲本川河岸、南は下築屋敷(しもつきやしき)、西は寺(てら)町筋に囲まれた一画。外(そと)町のうちで武家地。延宝(一六七三―八一)頃に八軒の家があったことから、この呼称となったといわれる。稲田氏組・織田氏組・前羽氏組など鉄砲組士の居住地。 八軒屋はちけんや 福岡県:柳川市柳川城下八軒屋[現在地名]柳川市八軒町(はちけんまち)西方(さいほう)寺の東側の南北の通りに沿った片側町。北は鉄炮小路(てつぽうこうじ)に至る。通りの西側には堀がある。寛政三年(一七九一)の町小路絵図には、通りに面して八つに区画された屋敷地が描かれている。享保八年(一七二三)から同一一年の状況を示すと推定される柳川惣町図には、「伊勢堂」が描かれるのみでそういった区画は認められないことから、享保から寛政までの間に成立したものと推定される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報