改訂新版 世界大百科事典 「ポツダム政令」の意味・わかりやすい解説
ポツダム政令 (ポツダムせいれい)
1945年9月20日の緊急勅令542号〈ポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件〉に基づいて発せられた命令(勅令,閣令,省令)で,占領期特有の法体系である。同勅令は〈政府ハ“ポツダム”宣言ノ受諾ニ伴ヒ連合国最高司令官ノ為ス要求ニ係ル事項ヲ実施スル為特ニ必要アル場合ニ於テハ命令ヲ以テ所要ノ定ヲ為シ及必要ナル罰則ヲ設クルコトヲ得〉とされ,3年以下の懲役または禁錮以下の罰則を定め,即日施行された。同勅令に基づき,新憲法施行までの勅令はポツダム勅令,以後は政令となったのでポツダム政令という。この緊急勅令が発せられたのは,日本占領が間接占領方式をとったからである。占領軍は当初,日本の非軍国主義化,民主主義化のために,しばしば〈指令〉〈覚書〉等の形式でその政策を日本政府に強制したが,日本政府を通じての政策実現もはかった。その際,法律の制定がまにあわないような緊急の場合,この命令によったためである。第1号は9月24日の〈占領軍発行のB円〉についての大蔵省令であるが,10月以降の相次ぐ治安立法廃止等の措置はこれに基づいていた。10月13日の国防保安法,軍機保護法等の廃止,15日の治安維持法,思想犯保護観察法等の廃止,21日の治安警察法の廃止,12月29日の政治犯の復権令など,いずれもポツダム勅令として公布された。また46年1月4日の公職追放の占領軍指令に基づく具体的措置も2月23日の勅令以降,勅令,閣令,省令等で実施された。
占領政策の転換以後は民主化逆行のポツダム政令がしばしば公布された。1948年7月22日のマッカーサー最高司令官の芦田均首相あて書簡に基づく政令201号が31日に公布施行され,公務員の団体交渉権,罷業権が否認された。49年4月4日の政令64号の団体等規正令では,従来の右翼団体に加えて左翼団体が取締りの対象とされた。さらに朝鮮戦争勃発に際し,《アカハタ》およびその後継紙の停刊を命じた,マッカーサーの吉田茂首相あての6月26日,7月8日の書簡をうけ,50年10月31日〈占領目的阻害行為処罰令〉(政令325号)が公布された(11月1日施行)。勅令542号は,52年4月11日の法律81号〈ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律〉により,講和発効の日をもって失効したが,同勅令に基づく命令は別に定めのない限り,4月28日から180日間有効とされた。5月7日の法律137号によってポツダム政令325号は廃止されたが,廃止前の行為に対する罰則は有効とされたため,同政令の違憲性が裁判で争われた。53年7月22日,最高裁大法廷は同政令違反事件は講和後は無効であるとする免訴の判決を10対4で下し,占領期特有の法体系に終止符が打たれた。
執筆者:神田 文人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報