矢次一夫(読み)やつぎかずお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「矢次一夫」の意味・わかりやすい解説

矢次一夫
やつぎかずお
(1899―1983)

大正・昭和期の黒幕的政治家。佐賀県生まれ。15歳で家出、人夫、沖仲仕などをして渡り歩き、20歳のとき上京。1921年(大正10)田澤義鋪(よしはる)の勧めで協調会に入り、1924年には退社、独立して労働事情調査所を設立。この間、野田醤油(しょうゆ)、共同印刷、日本楽器など大争議の調停にあたった。1934年(昭和9)には陸軍統制派の動きに呼応して国策研究同志会を組織。二・二六事件(1936)後解散するが、1937年国策研究会を再組織し、戦時国策立案に従事。企画院委員、大政翼賛会参与、翼賛政治会理事などを歴任、戦時内閣の組閣倒閣にも関与した。第二次世界大戦後は公職追放解除後の1953年(昭和28)国策研究会を再建韓国台湾の政財界とのパイプ役を務めた。

[北河賢三]

『矢次一夫著『この人々』(1958・光書房)』『矢次一夫著『昭和動乱私史』全3巻(1971~1973・経済往来社)』『矢次一夫著『天皇・嵐の中の五十年――矢次一夫対談集1』(1981・原書房)』『矢次一夫著『昭和政界秘話――矢次一夫対談集2』(1981・原書房)』『中村隆英他編『現代史を創る人びと4』(1972・毎日新聞社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「矢次一夫」の意味・わかりやすい解説

矢次一夫【やつぎかずお】

浪人政治家。佐賀県生れ。少年時代から人夫・沖仲士など放浪生活を経験したのち上京。1921年協調会に入り,1925年労働事情調査所を創立して《労働週報》を発行,野田醤油,共同印刷,日本楽器など大争議の調停にあたる。無産運動家から軍人に至る幅広い人脈をつかみ,1933年には統制派の幕僚池田純久少佐らと国策研究会を設立した。第2次大戦後公職追放。1953年に国策研究会を再建,1956年に実業家・評論家などを組織して台湾を訪問,1958年には岸信介首相の個人特使として李承晩韓国大統領と会談するなど,台湾・韓国との交流に尽力した。大宅壮一に〈昭和最大の怪物〉と評された。著書は《昭和人物秘録》(1954年),《この人々》(1958年),《昭和動乱私史》全3巻(1971年−1973年),《わが浪人外交を語る》(1973年)など。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「矢次一夫」の解説

矢次一夫 やつぎ-かずお

1899-1983 大正-昭和時代の政治家。
明治32年7月5日生まれ。大正14年労働事情調査所を設立し,労働争議を調停。昭和12年国策研究会事務局長となり,国の重要政策にかかわる。戦後は公職追放解除後の28年国策研究会を再建。岸信介らに協力し,韓国,台湾との交流につくした。昭和58年3月22日死去。83歳。佐賀県出身。著作に「昭和動乱私史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android