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福岡孝弟 ふくおか たかちか

百科事典マイペディアの解説

福岡孝弟【ふくおかたかちか】

明治の政治家。通称藤次(とうじ)。土佐(とさ)高知藩士出身。1867年後藤象二郎とともに,将軍に大政奉還を説いた。維新政府成立とともに参与となり五ヵ条の誓文の起草に加わった。
→関連項目海援隊薩土盟約吉田東洋

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

福岡孝弟 ふくおか-たかちか

1835-1919 幕末-明治時代の武士,官僚。
天保(てんぽう)6年2月5日生まれ。土佐高知藩士。吉田東洋の門下。慶応3年(1867)後藤象二郎らと将軍徳川慶喜(よしのぶ)に大政奉還をすすめる。翌年五箇条の誓文の起草に参加。新政府の文部大輔(たいふ),司法大輔,元老院議官,参議兼文部卿などをつとめた。大正8年3月7日死去。85歳。通称は藤次。

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朝日日本歴史人物事典の解説

福岡孝弟

没年:大正8.3.7(1919)
生年:天保6.2.5(1835.3.3)
幕末の土佐(高知)藩士,明治政府官僚,政治家。高知城下に生まれる。吉田東洋の薫陶を受け後藤象二郎,野中助継らと吉田派の中心におり安政6(1859)年大監察。東洋遭難後は逼塞したが,隠居山内容堂(豊信)の帰郷後,藩政指導部に復帰,大監察,仕置役を歴任,容堂の公武合体路線に沿って行動。慶応3(1867)年大政奉還運動では後藤と藩を代表して成功させた。同年12月維新政府の参与として基本綱領策定の必要性を提唱,翌4年1月に五箇条の御誓文を起草。議事体裁御取調御用,明治2(1869)年学校御用掛。3年2月高知藩庁に転じ,少参事,権大参事として藩政改革,財政整理に尽力。5年政府に出仕,文部大輔,司法大輔,征韓論政変後に辞職。7年左院1等議官に暫時任じた。8年政変で元老院議官,政府部内の薩長両派と土佐派の緩衝役を務めたが,下野。13年元老院議官に復帰,14年文部卿,同年参議に昇任して18年内閣制度施行まで勤めた。この間,参事院議長も兼任。17年子爵。18年宮中顧問官,21年から他界するまで枢密顧問官。<著作>「五箇条御誓文と政体書の由来に就いて」(国家学会編『明治憲政経済史論』)

(福地惇)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ふくおかたかちか【福岡孝弟】

1835‐1919(天保6‐大正8)
幕末・維新期から明治期にかけての政治家。通称は藤次。土佐藩出身。吉田東洋門下として藩政に参画・活躍したが,1867年(慶応3),参政となって後藤象二郎とともに大政奉還運動を進めた。維新政府にあっては参与となり,由利公正(三岡八郎)の起草になる五ヵ条の誓文を公議政体論を反映した形に修正したことは有名。70年(明治3),土佐藩権大参事として板垣退助と藩政改革を推進し,以後,明治政府の文部大輔,司法大輔,元老院議官,参議兼文部卿,参事院議長,枢密顧問官などを歴任した。

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大辞林 第三版の解説

ふくおかたかちか【福岡孝弟】

1835~1919) 政治家。土佐藩出身。山内容堂の意を受けて二条城で徳川慶喜と会見、大政奉還を促した。維新後は、由利公正と「五箇条の御誓文」を起草、文部大輔・文部卿を歴任。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

福岡孝弟
ふくおかたかちか

[生]天保6(1835).2. 高知
[没]1919.3.6. 東京
明治の政治家。「こうてい」ともいい,孝悌とも書く。通称藤次。土佐藩士,吉田東洋に学び,24歳で郡奉行。慶応3 (1867) 年山内豊信の命を奉じ後藤象二郎らとともに徳川慶喜に大政奉還を献策。維新後,五箇条の御誓文の起草に参画。明治5 (1872) 年文部大輔として大木喬任文部卿のもとで「学制」制定に関与。同年司法大輔,1881年河野敏鎌の跡を継いで文部卿に就任,教育令改正に伴う諸施策を整備し,教育の国家管理体制の基盤を形成した。 1884年子爵,1891年枢密顧問官。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

福岡孝弟
ふくおかたかちか
(1835―1919)

幕末・明治時代の官僚、政治家。天保(てんぽう)6年2月土佐藩家老福岡家の支族に生まれた。藤次と称す。1863年(文久3)藩主側役(そばやく)となり、幕末政局に土佐藩を代表して活躍、1867年(慶応3)参政に進み、10月同藩士後藤象二郎(ごとうしょうじろう)らと将軍徳川慶喜(とくがわよしのぶ)に大政奉還を勧告した。王政復古直後の12月12日参与に任じられ議事制度の確立に尽力、五か条の誓文や政体書の起草にあたった。維新の功により賞典禄(しょうてんろく)400石を永世下賜。1872年(明治5)文部大輔(たいふ)ついで司法大輔、以後断続的に左院、元老院の議官を務め、1881年参議兼文部卿(きょう)、1884年子爵、1888年枢密顧問官。大正8年3月6日没。[毛利敏彦]

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世界大百科事典内の福岡孝弟の言及

【五ヵ条の誓文】より

…誓文の条目は,第1条に〈広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ〉と,公議の尊重を示し,第2条では,〈上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フ〉こと,第3条では,〈官武一途庶民ニ至ル各其志ヲ遂ケ〉ること,第4条では,〈旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基ク〉こと,第5条では,〈知識ヲ世界ニ求メ皇基ヲ振起〉することが述べられている。この誓文は王政復古ののち,公議政体派の由利公正が作成した〈議事之体大意〉,そしてその由利案に加筆修正した福岡孝弟(たかちか)の〈会盟〉案の流れをくんでいる。とくに福岡案は,大政奉還以来の土佐藩の藩論であった列侯会議の開催を意図し,天皇と大名との盟約で五ヵ条の国是の確立を行おうとするものであった。…

※「福岡孝弟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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