福岡孝弟(読み)フクオカタカチカ

デジタル大辞泉 「福岡孝弟」の意味・読み・例文・類語

ふくおか‐たかちか〔フクをか‐〕【福岡孝弟】

[1835~1919]政治家土佐の人。後藤象二郎らと大政奉還徳川慶喜に勧告。五箇条の御誓文の起草に参加。

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精選版 日本国語大辞典 「福岡孝弟」の意味・読み・例文・類語

ふくおか‐たかちか【福岡孝弟】

  1. 幕末・明治の政治家。土佐国高知県)の人。後藤象二郎とともに大政奉還運動に活躍維新政府が成立すると、五箇条の御誓文の起草に参加。また政体書公布尽力した。のち文部大輔・司法大輔・文部卿などを歴任。天保六~大正八年(一八三五‐一九一九

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「福岡孝弟」の解説

福岡 孝弟
フクオカ タカチカ


肩書
枢密顧問官,参事院議長

別名
通称=藤次 号=南蘋

生年月日
天保6年2月5日(1835年)

出生地
土佐国高知城下弘小路(高知県高知市)

経歴
土佐藩士。吉田東洋に師事し、安政6年大監察、慶応3年参政となり、前藩主山内容堂の意をうけ後藤象二郎と上洛、将軍慶喜に大政奉還を説き、公議政体論を主張した。維新後新政府参与となり、五ケ条の御誓文起草に当たった。由利公正原案加筆、第一条を「列侯会議を興し万機公論に決すべし」と修正。また政体書公布に尽力した。明治3年高知藩少参事、同権大参事となり、板垣退助藩政改革を行った。のち明治政府に出仕して、5年文部大輔、司法大輔となり、征韓論政変後辞職。8年元老院議官となるが下野、13年同議官に復帰。14年参議兼文部卿、16年参事院議長兼任、18年宮中顧問官、21年枢密顧問官を歴任。著書に「五事御誓文起草始末」がある。17年子爵。

没年月日
大正8年3月5日

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「福岡孝弟」の意味・わかりやすい解説

福岡孝弟
ふくおかたかちか
(1835―1919)

幕末・明治時代の官僚、政治家。天保(てんぽう)6年2月土佐藩家老福岡家の支族に生まれた。藤次と称す。1863年(文久3)藩主側役(そばやく)となり、幕末政局に土佐藩を代表して活躍、1867年(慶応3)参政に進み、10月同藩士後藤象二郎(ごとうしょうじろう)らと将軍徳川慶喜(とくがわよしのぶ)に大政奉還を勧告した。王政復古直後の12月12日参与に任じられ議事制度の確立に尽力、五か条の誓文や政体書の起草にあたった。維新の功により賞典禄(しょうてんろく)400石を永世下賜。1872年(明治5)文部大輔(たいふ)ついで司法大輔、以後断続的に左院、元老院の議官を務め、1881年参議兼文部卿(きょう)、1884年子爵、1888年枢密顧問官。大正8年3月6日没。

[毛利敏彦]


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朝日日本歴史人物事典 「福岡孝弟」の解説

福岡孝弟

没年:大正8.3.7(1919)
生年:天保6.2.5(1835.3.3)
幕末の土佐(高知)藩士,明治政府官僚,政治家。高知城下に生まれる。吉田東洋の薫陶を受け後藤象二郎,野中助継らと吉田派の中心におり安政6(1859)年大監察。東洋遭難後は逼塞したが,隠居山内容堂(豊信)の帰郷後,藩政指導部に復帰,大監察,仕置役を歴任,容堂の公武合体路線に沿って行動。慶応3(1867)年大政奉還運動では後藤と藩を代表して成功させた。同年12月維新政府の参与として基本綱領策定の必要性を提唱,翌4年1月に五箇条の御誓文を起草。議事体裁御取調御用,明治2(1869)年学校御用掛。3年2月高知藩庁に転じ,少参事,権大参事として藩政改革,財政整理に尽力。5年政府に出仕,文部大輔,司法大輔,征韓論政変後に辞職。7年左院1等議官に暫時任じた。8年政変で元老院議官,政府部内の薩長両派と土佐派の緩衝役を務めたが,下野。13年元老院議官に復帰,14年文部卿,同年参議に昇任して18年内閣制度施行まで勤めた。この間,参事院議長も兼任。17年子爵。18年宮中顧問官,21年から他界するまで枢密顧問官。<著作>「五箇条御誓文と政体書の由来に就いて」(国家学会編『明治憲政経済史論』)

(福地惇)

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百科事典マイペディア 「福岡孝弟」の意味・わかりやすい解説

福岡孝弟【ふくおかたかちか】

明治の政治家。通称藤次(とうじ)。土佐(とさ)高知藩士出身。1867年後藤象二郎とともに,将軍に大政奉還を説いた。維新政府成立とともに参与となり五ヵ条の誓文の起草に加わった。以後文部大輔・司法大輔を経,1875年元老院議官,1881年文部卿,1891年枢密顧問官等を歴任。
→関連項目海援隊薩土盟約吉田東洋

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改訂新版 世界大百科事典 「福岡孝弟」の意味・わかりやすい解説

福岡孝弟 (ふくおかたかちか)
生没年:1835-1919(天保6-大正8)

幕末・維新期から明治期にかけての政治家。通称は藤次。土佐藩出身。吉田東洋門下として藩政に参画・活躍したが,1867年(慶応3),参政となって後藤象二郎とともに大政奉還運動を進めた。維新政府にあっては参与となり,由利公正(三岡八郎)の起草になる五ヵ条の誓文を公議政体論を反映した形に修正したことは有名。70年(明治3),土佐藩権大参事として板垣退助と藩政改革を推進し,以後,明治政府の文部大輔,司法大輔,元老院議官,参議兼文部卿,参事院議長,枢密顧問官などを歴任した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「福岡孝弟」の意味・わかりやすい解説

福岡孝弟
ふくおかたかちか

[生]天保6(1835).2. 高知
[没]1919.3.6. 東京
明治の政治家。「こうてい」ともいい,孝悌とも書く。通称藤次。土佐藩士,吉田東洋に学び,24歳で郡奉行。慶応3 (1867) 年山内豊信の命を奉じ後藤象二郎らとともに徳川慶喜に大政奉還を献策。維新後,五箇条の御誓文の起草に参画。明治5 (1872) 年文部大輔として大木喬任文部卿のもとで「学制」制定に関与。同年司法大輔,1881年河野敏鎌の跡を継いで文部卿に就任,教育令改正に伴う諸施策を整備し,教育の国家管理体制の基盤を形成した。 1884年子爵,1891年枢密顧問官。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「福岡孝弟」の解説

福岡孝弟
ふくおかたかちか

1835.2.6~1919.3.7

幕末~明治期の高知藩士・政府高官。土佐国高知生れ。通称藤次。吉田東洋門下の能吏で重職を歴任し,大政奉還運動を後藤象二郎と連携して成功に導き,賞典禄500石。明治政府の参与となり,五カ条の誓文の起草に関与。文部大輔・司法大輔を歴任したが,明治6年の政変後辞職。間もなく左院1等議官,ついで元老院議官,1881年(明治14)文部卿,同年参議に昇任,85年内閣制度施行まで在任した。この間参事院議長兼任。84年子爵。以後宮中顧問官・枢密顧問官。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「福岡孝弟」の解説

福岡孝弟 ふくおか-たかちか

1835-1919 幕末-明治時代の武士,官僚。
天保(てんぽう)6年2月5日生まれ。土佐高知藩士。吉田東洋の門下。慶応3年(1867)後藤象二郎らと将軍徳川慶喜(よしのぶ)に大政奉還をすすめる。翌年五箇条の誓文の起草に参加。新政府の文部大輔(たいふ),司法大輔,元老院議官,参議兼文部卿などをつとめた。大正8年3月7日死去。85歳。通称は藤次。

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旺文社日本史事典 三訂版 「福岡孝弟」の解説

福岡孝弟
ふくおかたかちか

1835〜1919
明治時代の政治家
土佐藩出身。後藤象二郎らと徳川慶喜 (よしのぶ) に大政奉還を建議。明治新政府の参与となり五箇条の誓文の起草に参画し,公議政体論の立場から加筆修正した。また政体書の起草にも参加。1875年元老院議官となり,のち参議・枢密顧問官などを歴任した。

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世界大百科事典(旧版)内の福岡孝弟の言及

【五ヵ条の誓文】より

…誓文の条目は,第1条に〈広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ〉と,公議の尊重を示し,第2条では,〈上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フ〉こと,第3条では,〈官武一途庶民ニ至ル各其志ヲ遂ケ〉ること,第4条では,〈旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基ク〉こと,第5条では,〈知識ヲ世界ニ求メ皇基ヲ振起〉することが述べられている。この誓文は王政復古ののち,公議政体派の由利公正が作成した〈議事之体大意〉,そしてその由利案に加筆修正した福岡孝弟(たかちか)の〈会盟〉案の流れをくんでいる。とくに福岡案は,大政奉還以来の土佐藩の藩論であった列侯会議の開催を意図し,天皇と大名との盟約で五ヵ条の国是の確立を行おうとするものであった。…

※「福岡孝弟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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