中国において,道観を含めた大内(だいない)の道場,内裏寺院のことをいう。寺院を道場と称するようになったのは隋の煬帝(ようだい)(在位605-617)のときからであるが,宮中に精舎を建てたのは古く,東晋の孝武帝(在位373-396)のころに見え,衆僧を集め講経談論させている。この傾向は隋・唐時代に盛んとなり,法会,供施のみならず経典収集,目録編纂,訳経等を広く行い,また僧尼を常住させ治国済民のための祈願,とりわけ祈雨,除災,折伏などを行わせた。
執筆者:藤善 真澄 日本でも宮中で仏像を安置し,修行,仏事,翻訳などを行った部屋や堂をさし,大内の道場を意味し,内寺ともいう。671年(天智10)近江大津宮の内裏に仏殿がみられ(《日本書紀》),733年(天平5)写経所から平城宮の内堂に《薬師経》が納められている(《正倉院文書》)。これらは内道場に相当するが,《続日本紀》にみえる玄昉(げんぼう)と道鏡の伝記(天平18年(746)6月18日条,宝亀3年(772)4月7日条)にも内道場がみえ,両者は内道場を主宰して権勢を得た。空海は834年(承和1)唐の内道場に擬して真言院を置くことを奏請して許され,勘解由使(かげゆし)庁が内道場真言院とよばれ,空海は翌年正月ここで後七日御修法を営み,玉体安穏・五穀豊穣を祈り,この御修法は以後ながく恒例とされた(《続日本後紀》《東寺長者補任》《公事根源》)。
執筆者:井上 薫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
宮中に設けられた仏教施設。中国の同類の施設に倣ったもの。既に7世紀の段階から、宮中で仏事の修されたことが認められるが、常置の施設で行われたか否かは定かでなく、臨時に繍仏像(しゅうぶつぞう)などを安置して設けられた可能性もある。史料上の初見は、唐より帰朝した玄昉(げんぼう)を内道場に安置したというもので(『続日本紀』天平18年6月18日条)、玄昉が隅院(すみのいん)(隅寺、現、海龍王寺(かいりゅうおうじ))に住したことから、ここが内道場であったとする説もある。称徳天皇の寵遇を受けた道鏡もまた、内道場の禅師であった。ここに出入りする僧は、治療の役割などを通じて天皇等と直接結び付く機会に恵まれた事から、両者の癒着を防止する目的で、772年(宝亀3)に十禅師(のちの内供奉(ないぐぶ)十禅師)の制が設けられたと考えられる。空海の奏請により、834年(承和1)に設置された宮中真言院がその流れをくむ施設であり、玉体護持を祈願する法会等が営まれた。
[本郷真紹]
『薗田香融著「わが日本における内道場の起源」(仏教史学会編『仏教の歴史と文化』所収・1980・同朋舎出版)』
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