後七日御修法(読み)ごしちにちみしゅほう

共同通信ニュース用語解説 「後七日御修法」の解説

後七日御修法

毎年1月8日から7日間、宮中真言院で開かれた国家繁栄天皇の身体安穏を祈念する儀式明治時代一時廃止されたが、東寺灌頂院で再開された。

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改訂新版 世界大百科事典 「後七日御修法」の意味・わかりやすい解説

後七日御修法 (ごしちにちみしゅほう)

天皇の身体安穏と国家の安泰・繁栄を祈って,毎年1月8日から7日間,宮中真言院で行われた真言宗の重要な儀式。元日から7日までの節会の後の,7日間の修法から後七日といい,真言院御修法,後七日法ともいう。834年(承和1)空海勅命により大内裏中務省において始行し,同年空海が上奏,唐の例にならって宮中に真言院が造立された。翌年から恒例として宮中御斎会と並んで行われるようになり,東寺一の長者が導師を勤めた。のちたびたび中絶したが,1623年(元和9)醍醐寺座主義演が紫宸殿において復興した。明治維新により1871年(明治4)に廃止されたが,83年東寺灌頂院再興。現今は15人の僧侶が出仕して金剛界法と胎蔵界法とを隔年に修し,そのほか息災・増益護摩と五大明王,十二天,聖天法などを修する。14日の結願には東寺長者が参内し,天皇の身体を加持する玉体加持を行うのがならわしであったが,明治再興以後は御衣加持に改められた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「後七日御修法」の意味・わかりやすい解説

後七日御修法
ごしちにちのみしほ

宮中で行われた法会(ほうえ)。「ごしちにちみしゅほう」ともいう。正月8日から14日まで、玉体安穏、国利民福を祈って宮中の真言院で修せられた真言秘密の大法会。前七日の神事に続く後七日の修法(しゅほう)の意。835年(承和2)空海の奏請(そうせい)で中国唐の風習に模して設けられた。金胎(こんたい)(金剛界(こんごうかい)、胎蔵界(たいぞうかい))両部の法を隔年交互に勤修(ごんしゅう)した。室町末期に一度中止されたが、江戸初期に復興した。明治維新後は東寺(教王護国寺)に移行され、現在も真言宗十八本山が集まって東寺灌頂院(かんじょういん)で営まれる。大極殿(だいごくでん)で行われた御斎会(ごさいえ)と顕密(けんみつ)相対する。

[西山蕗子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「後七日御修法」の意味・わかりやすい解説

後七日御修法
ごしちにちのみしゅほう

宮中において,毎年元日から7日までの間に行われる種々の神事の終ったあと,真言院において,8日から 14日までの7日間,天皇の安寧や国家安穏を祈る秘法を修することをいう。承和1 (834) 年,空海の奏請により行われて以来,東寺の長者がこれをつとめることとなった。明治4 (1871) 年頃,一時廃されたが,1882年,再び勅許を得,以後東寺の真言院で行われるようになった。

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