円応寺(読み)えんのうじ

日本歴史地名大系 「円応寺」の解説

円応寺
えんのうじ

[現在地名]鎌倉市山ノ内

巨福呂こぶくろ坂の頂上付近、建長寺の向い側にある。建長年間(一二四九―五六)創建新居山と号し、十王じゆうおう堂ともいう。臨済宗建長寺派。本尊閻魔大王。「鎌倉志」は知覚禅師開山とするが、没年から考えて疑問。開基未詳。

「殿中以下年中行事」に「浜之新居閻魔堂号円応寺」と記される新居あらい閻魔堂が前身で、元禄一六年(一七〇三)大地震後の津波被害によって宝永元年(一七〇四)材木座ざいもくざから現在地に移転した(「建長寺参暇日記」など)。この地は建長寺塔頭大統だいとう庵の旧跡で、当時は建長寺行者・火番給分の地に充てられていた(同書)。寺領は天正一九年(一五九一)の建長寺塔頭寺領高書上(県史八)では閻魔堂として建長寺朱印地のうち二貫五〇〇文、慶長五年(一六〇〇)の建長寺寺領検地帳(同書)には円応寺として田畑合せて四貫文が配分されている。


円応寺
えんのうじ

[現在地名]武雄市武雄町富岡字川良

かしわ岳の南麓にある。曹洞宗山号は普門山。本尊は十一面観世音菩薩。永正一四年(一五一七)了然禅師の開山。開基は塚崎つかざき城主一八代後藤純明である。

天正年間(一五七三―九二)兵火のため焼失し、文禄年間(一五九二―九六)に五世勝厳和尚が再建した。武雄領主の菩提寺で、二〇代から三二代までの御霊屋と位牌堂がある。参道の中ほどに石門があり、門額は武雄領二八代鍋島茂義の一五、六歳の時の揮毫で「西海禅林」と彫られている。


円応寺
えんのうじ

[現在地名]山陽町大字鴨ノ庄

厚狭盆地の北部山麓にある。曹洞宗で医王山と号し、本尊は薬師如来

「寺社由来」によれば、創建年代不明だが開山は潮海大徳で、当初は天台宗であったという。中興は元徳二年(一三三〇)に没した文渓宗尊と伝え、それ以後は天和二年(一六八二)の火災のため什書などを失い不詳という。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「円応寺」の解説

円応(えんのう)寺

神奈川県鎌倉市にある寺院。臨済宗建長寺派。山号は新居山。建長年間の創建で、由比郷や海浜近くにあった新居閻魔堂が前身とされる。1703年の地震津波災害の後に現在地に移転。本尊の木造閻魔王坐像は国の重要文化財指定

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