日本歴史地名大系 「別宮八幡神社」の解説 別宮八幡神社べつくはちまんじんじや 徳島県:徳島市旧板野郡地区中原村別宮八幡神社[現在地名]徳島市応神町中原・応神町吉成旧郷社。祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后のほか、素戔嗚命・倉稲魂命・罔象女神を配祀。「阿波志」によれば、もとは別宮浦にあったが、吉野川の洪水により現在地へ移ったという。同書の神宮寺の項では、移転時期は文禄年間(一五九二―九六)のこととされる。山城石清水(いわしみず)八幡宮領萱島(かやしま)庄の鎮守として勧請されたのが始まりで、別宮の名称は石清水八幡宮の別宮であることにちなむものといわれる。社伝では万寿二年(一〇二五)の勧請とされる。なお近世には筑前別宮を勧請したという説もみられたが(阿波志)、不詳。 別宮八幡神社べつくうはちまんじんじや 香川県:大川郡白鳥町西山村別宮八幡神社[現在地名]白鳥町西山宮奥(みやおく)池の西側山裾に鎮座。北向(きたむき)八幡ともいう。祭神応神天皇。旧村社。西山(にしやま)・東山両地区はもと白鳥八幡宮の氏子であったが遠隔であり、また洪水で参拝できないことが多かったので、別に一社を建て別宮八幡と称したと伝える。社殿を白鳥の方角に向けて建てたので北向八幡の称が生れたという。鶴内八幡宮縁起(社蔵)によると古くは背後の仙峨(せんが)山の北嶺に鎮座していたが、永正二年(一五〇五)焼失したため山下で社を再建したという。寛文四年(一六六四)高松藩主松平頼重は白鳥神社を再興するにあたり、唯一神道の社として祭神を日本武尊とし、八幡神を当社に移した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by