成仿吾(読み)せいほうご

日本大百科全書(ニッポニカ) 「成仿吾」の意味・わかりやすい解説

成仿吾
せいほうご / チョンファンウー
(1897―1984)

中国の作家、教育者。名は灝(こう)。仿吾は字(あざな)。筆名石厚生など。湖南(こなん)省新化県出身。日本に留学し旧制六高、東京帝国大学工学部などに学ぶ。1921年(大正10)郭沫若郁達夫らと創造社を組織し、評論を中心に活躍した。大革命挫折(ざせつ)後、1928年に論文文学革命から革命文学へ」を発表、無産階級文芸を提唱し革命文学運動のなかで指導的な役割を果たした。1928年日本を経由してヨーロッパに留学し1931年帰国。その後は陝西(せんせい)ソビエト区に入り、陝北公学校長など教育運動を主に活躍した。1955年(昭和30)来日。中国教育協会名誉会長、中国人民大学校長などを務める。著書としては評論・小説集『流浪』(1927)、評論集『使命』(1927)などがある。

[小谷一郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「成仿吾」の意味・わかりやすい解説

成仿吾 (せいほうご)
Chéng Fǎng wú
生没年:1897-1984

中国,現代の文芸理論家,作家,教育者。湖南省新化県出身。東京帝国大学工学部造兵科に学ぶ。在学中郭沫若らと創造社結成,主として評論で活躍,やがて左傾して革命文学を提唱。28年渡仏,共産党入党。帰国後は党の文化教育工作を担当,中央党校,陝北公学,華北聯合大学,人民大学等で校長などを歴任。その間長征に参加。初期の評論,詩,小説のほか,《共産党宣言》《ゴータ綱領批判》の訳,《長征回憶録》(1977)がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「成仿吾」の意味・わかりやすい解説

成仿吾
せいほうご
Cheng Fang-wu

[生]光緒23(1897).7.16.
[没]1984.5.17. 北京
中国の評論家,教育者。湖北省新化県の人。没落地主家庭の出身。宣統2 (1910) 年渡日し,第六高等学校を経て東京大学工学部中退。 1921年郭沫若,郁達夫らと「創造社」を組織してその理論的代弁者として活躍。その後次第に左傾し,27年武漢政府に参加,その崩壊後日本に亡命して評論『文学革命から革命文学へ』を執筆,その前後に中国共産党に入党した。さらにドイツ,フランスにおもむき,31年帰国,長征に従って延安におもむき,陝北公学校長となった。この頃から教育活動に専心,解放後は華北連合大学校長,華北人民政府委員を経て,52年東北師範大学校長。 55年平和代表として謝冰心 (しゃひょうしん) らと来日した。文化大革命で批判を受けたが,四人組失脚後は 79年に中国人民大学校長に就任,その後,中国人民政治協商会議全国委員会常務委員をつとめた。

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世界大百科事典(旧版)内の成仿吾の言及

【創造季刊】より

…上海泰東図書局発行。主要執筆者は郭沫若(かくまつじやく),郁達夫(いくたつぷ),成仿吾(せいほうご),張資平,田漢,鄭伯奇など。編集には郭沫若と郁達夫が当たった。…

※「成仿吾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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