加悦(読み)かや

日本大百科全書(ニッポニカ) 「加悦」の意味・わかりやすい解説

加悦
かや

京都府北西部、与謝郡(よさぐん)にあった旧町名(加悦町(ちょう))。現在は与謝郡与謝野町(よさのちょう)の中・南部を占める一地区。1889年(明治22)町制施行。1954年(昭和29)加悦町は桑飼(くわがい)、与謝の2村と合併。2006年(平成18)岩滝(いわたき)、野田川(のだがわ)の2町と合併し、与謝野町となる。南東には大江山(832メートル)がそびえ、地域の中央を阿蘇(あそ)海に注ぐ野田川が北流し、流域には加悦谷の平地が開ける。国道176号が通じ、旧野田川町の京都丹後鉄道宮豊線与謝野駅とJR山陰本線福知山駅からバス便がある。全般に山がちで、冬は積雪も多く、農業は振るわないが、古くから農家の副業として機業が盛んで京丹後(きょうたんご)市とともに丹後縮緬(ちりめん)の主産地をなしている。国指定史跡に前方後円墳の作山(つくりやま)古墳および蛭子山(えびすやま)古墳がある。施薬寺(せやくじ)は与謝蕪村(よさぶそん)ゆかりの寺で蕪村の描いた屏風(びょうぶ)1双を蔵する。

織田武雄

『『加悦町誌』(1974・加悦町)』『『加悦町20世紀の記憶』(2001・加悦町)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「加悦」の意味・わかりやすい解説

加悦
かや

京都府北西部,与謝野町南部の旧町域。野田川上流域の加悦谷にある。 1889年町制施行。 1954年桑飼村,与謝村合体。 2006年岩滝町,野田川町と合体して与謝野町となった。丹後縮緬の機業地として有名。享保5 (1720) 年絹屋佐平次によって,西陣から縮緬機が導入され,峰山網野とともにその本場となる。家内工業的な小規模企業が多い。作山古墳,蛭子山古墳は国の史跡に指定。南の福知山市との境には,酒呑童子の伝説で名高い大江山がある。

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百科事典マイペディア 「加悦」の意味・わかりやすい解説

加悦[町]【かや】

京都府北部,野田川上流域を占める与謝(よさ)郡の旧町。米作を主とするが,古くから家内工業の機業が盛んで,丹後縮緬(ちりめん)の本場として有名。北近畿タンゴ鉄道野田川駅からバスが通じる。2006年3月,与謝郡岩滝町,野田川町と合併し町制,与謝郡与謝野町となる。59.05km2。7957人(2003)。

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加悦 (かや)

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