大日本帝国憲法下で政党に基礎を置かず超然主義にたった内閣に対して使われた呼称。政党内閣の反対概念。超然主義は初期の藩閥内閣に共通する政治方針であった。1889年(明治22)憲法発布直後の地方官会議で黒田清隆(きよたか)首相が、立憲制下では政党の存在は不可避だが、「政府ハ常ニ一定ノ方向ヲ取リ超然トシテ政党ノ外ニ立チ」政局にあたるべしと訓示したことから、一般に超然主義の呼称が使われるようになった。日清(にっしん)戦争前後から伊藤博文(ひろぶみ)派官僚は政党との妥協・提携による憲政の運営を図り、政党内閣にも道を開いたが、山県有朋(やまがたありとも)派官僚はこれに反対し、以後も同派の内閣は超然主義的立場をとるものが少なくなかった。
[阿部恒久]
『指原安三著『明治政史』(1892・冨山房/明治文化研究会編『明治文化全集 2、三』所収・1928、29・日本評論社)』
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