加藤暁台(読み)カトウキョウタイ

デジタル大辞泉 「加藤暁台」の意味・読み・例文・類語

かとう‐きょうたい〔‐ケウタイ〕【加藤暁台】

[1732~1792]江戸中期の俳人尾張名古屋の人。別姓、久村くむら。名は周挙。別号暮雨巷ぼうこう尾張藩武士から俳諧師となった。蕉風しょうふうを慕い、「秋の日」の編などにより、その復興運動に努めた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「加藤暁台」の意味・わかりやすい解説

加藤暁台
かとうきょうたい

[生]享保17(1732).9.1. 名古屋
[没]寛政4(1792).1.19. 京都
江戸時代中期の俳人。名,周挙。字,後一。通称,平兵衛。初号,他朗。別号,買夜,暮雨巷 (ぼうこう) ,竜門。岸上 (きしのうえ) 林右衛門の長子で,幼名は仲八。長じて加藤氏を名のり,久村 (くむら) 氏とも仮称。尾張徳川家に仕えて江戸詰になったが,28歳で職を辞して江戸を去った。俳諧巴雀,白尼に師事,宝暦から明和にかけて暮雨巷一門を形成し,名古屋の中心俳人になった。芭蕉を追慕し,特に『冬の日』を重んじ,みずから『秋の日』 (1772) を編んだ。安永頃には蕪村一派と交遊して中興俳諧の一中心となった。天明3 (83) 年幻住庵と京都で芭蕉百回忌取越追善俳諧を主催し,寛政2 (90) 年京都二条家に召されて俳諧宗匠の免状を受けた。編著『蛙啼 (あてい) 集』 (63) ,『風羅念仏 (ふうらねんぶつ) 』 (82) など。『暁台句集』 (1809,桜田臥央編) がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤暁台」の解説

加藤暁台 かとう-きょうたい

1732-1792 江戸時代中期の俳人。
享保(きょうほう)17年9月1日生まれ。武藤巴雀(はじゃく)・白尼(はくに)父子に入門し,のち暮雨巷(ぼうこう)一門をおこす。蕉風復興をめざして中興(天明)俳諧(はいかい)の中心となり,「去来抄」などを翻刻した。寛政4年1月20日死去。61歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。本姓は岸上。名は周挙。通称は平兵衛。別号に他朗,買夜,暮雨巷。編著に「秋の日」「風羅(ふうら)念仏」などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「加藤暁台」の意味・わかりやすい解説

加藤暁台
かとうきょうたい

暁台

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世界大百科事典(旧版)内の加藤暁台の言及

【暁台】より

…江戸中期の俳人。姓は加藤,幼名は仲八,通称は平兵衛,本名は周挙,初号は他朗,別号は買夜,暮雨巷(ぼうこう)。名古屋の人。尾張徳川家に仕えたが28歳のとき辞職した。俳諧は20歳のころ巴雀の門に入り,巴雀没後はその子白尼について学んだ。《蛙啼(あてい)集》(1763)ではじめて暁台を名のり,名古屋を中心に〈暮雨巷〉と称する一派を形成した。1774年(安永3)から数年間,しばしば京都に上って蕪村と交わり,そのころの句はとくにすぐれたものが多い。…

※「加藤暁台」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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