労働者災害補償保険法(昭和22年法律第50号)に基づく政府管掌の保険制度。略称、労災保険。業務上の事由または通勤による労働者の負傷、疾病、障害、死亡に対して保険給付を行うほか、社会復帰促進等事業を行うことによって労働者の福祉増進に寄与することを目的としている。
[重田博正]
労災保険は、非現業の国家および地方公務員と船員、一部の農林水産業(暫定任意適用事業)を例外として、労働者を使用する事業にはすべて適用される。適用事業においては、その事業開始の日をもって事業所単位で自動的に保険関係が成立し、そこで働く者は、雇用形態や雇用期間の長さなどを問わずすべてが適用労働者となる。保険給付には、使用者側の過失の有無は問題とされず、ただその負傷や疾病などが業務上のものであることのみが要件とされる。保険給付つまり業務上認定の事務は労働基準監督署が行うが、その決定に不服がある者は都道府県労働局に置かれている労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をすることができ、さらに不服のある者は、厚生労働省に置かれている労働保険審査会に対して再審査請求をすることができる。労災保険事業の運営費用は事業主が全額負担する保険料によっておもにまかなわれるが、保険料率は災害発生率などを考慮して事業の種類ごとに決められている。また中規模以上の事業については、事業主の災害防止努力を促進するねらいから、個々の事業ごとに、過去の災害発生状況に応じて保険料率の増減を行うメリット制が設けられている。
[重田博正]
保険給付の種類としては、医療の現物給付を原則とする療養補償給付、療養のため休業し賃金を受けなかった日の4日目から支給される休業補償給付、療養開始後1年6か月を経過した以後において負傷や疾病が治っておらず、かつ一定の傷病等級に該当する場合に支給される傷病補償年金、負傷または疾病が治ったとき身体に一定の障害が残った場合に支給される障害補償給付(年金または一時金)、障害補償年金または傷病補償年金保険受給者のうち一定の障害があり介護を受けている場合に支給される介護補償給付、事業主が行った直近の定期健康診断(一次健康診断)等で血圧や血糖、腹囲、BMI等に異常の所見があると診断された際の二次健康診断等給付、そして業務上の死亡に対して支給される遺族補償給付(年金または一時金)と葬祭料の8種がある。またそれぞれの給付を補足する形で特別支給金がある。以上のうち療養・介護補償、二次健康診断等給付、葬祭料を除く4種の給付額はすべて給付基礎日額の何日分とか何パーセントという形で算定されるが、その基礎日額には労働基準法第12条に定める平均賃金、つまり算定事由が生じた日前3か月間の平均賃金日額があてられる。
[重田博正 2020年11月13日]
なお、災害発生時以降の賃金水準の社会的変動に応じて給付額を改正するスライド制の規定も設けられている。兼業や副業をしているダブルワーカーの労災を広く認定するため、労働者災害補償保険法が一部改正され、2020年(令和2)9月から、仕事をかけ持ちしている場合、すべての勤務先の労働時間を合算して過労死などを判断する新制度が導入されて、複数事業所の賃金合算額をベースに労災保険を給付するようになった。
また、企業などに雇われた労働者以外に、フリーランスなど、事故にあいやすく「保護が必要」と判断された一部業種に限って加入できる特別加入制度がある。加入は任意で、働き手が自ら保険料を負担する。保険料は、加入者があらかじめ3500円~2万5000円の給付基礎日額を設定し、これに仕事の危険度によって決まる保険料率(5.2%~0.3%)を乗じて決める。対象は中小事業主、個人タクシー運転手、建設業の一人親方、危険を伴う農作業、介護や家事支援などの特定作業従事者、海外赴任者らで、働き方の多様化にあわせ、2021年4月から俳優ら芸能従事者、アニメーター、柔道整復師、創業支援等措置に基づいてフリーランスとして働く高齢者を加え、同9月からは自転車を使用する配達員、ITエンジニアを加えた。
[編集部 2022年1月21日]
保険給付と相まって労働者の福祉増進のために社会復帰促進等事業の規定がある。そのおもなものとして、
(1)労災病院、リハビリテーションセンターなどの設置・運営
(2)就学援護費、保育援護費、介護料などの支給
(3)企業倒産に伴う未払い賃金の立替払い事業
(4)労災防止事業に対する補助金交付
(5)産業医学振興対策
などが行われている。
なお、労働者災害補償保険法の適用外のケースや上乗せ補償を担保するなどの民間保険会社提供の保険として、労働者災害補償責任保険がある。
[重田博正]
『労働省労働基準局労災管理課編『労災保険の仕組み』第5版(1997・中小企業労働福祉協会)』▽『保原喜志夫他編『労災保険・安全衛生のすべて』(1998・有斐閣)』▽『岩城猪一郎著『おもしろくてよくわかる労災保険の話と実務』(1999・日本法令)』▽『総務庁行政監察局編『労災保険事業の新たな展開を目指して』(2000・大蔵省印刷局)』▽『厚生労働省労働基準局編『最近における労災保険制度の課題と展開 最新』(2003・日刊労働通信社)』▽『高橋健著『元厚生労働事務官が解説する 労災保険実務講座』改訂版(2019・日本法令)』▽『労働新聞社編・刊『労災保険関係法令集』各年版』
労働者が労働災害にあった場合に,本人やその家族の生活を保障するための社会保険。労災保険ともいう。〈産業社会あるところ,労働災害あり〉といわれるように,資本主義社会・社会主義社会を問わず,産業社会において労働災害が多発しており,また,労働に起因する職業性疾患も多く発生している。それらは直接的または間接的に,企業の生産過程あるいは生産環境そのものの不完全さや,勤労者の作業行動や,また生産素材などに起因する。労働災害には,負傷,疾病,障害,死亡などが含まれる。一般的にいえば,労働災害の補償制度は,発生した労働災害の事後的な,対症療法的な制度であり,労働災害や職業性疾患の発生に対する事前的な予防措置が労働安全衛生制度である。
労働者災害補償制度は,日本においても主要欧米諸国においても,使用者=企業の災害発生責任とその損害補塡責任とを基礎に,使用者による直接補償制度によるか社会保険制度によるかを問わず,その企業=使用者の全額負担によって,業務上の理由による勤労者の負傷,疾病,障害,死亡などに対して,補償を行う制度である。医療による現物給付またはその医療費給付とあわせて,所得保障のための現金給付や関連給付によって,その災害に対する生活補償の機能を営むものである。この労働者災害補償制度は,使用者の責任発生の要件や補償をめぐり,使用者の厳格な故意や重過失による責任から,無過失責任へ,さらにこれを当然の前提として被災者とその家族の生存権保障を目的とした生活保障へと発展してきたのである。
労働者災害補償制度は使用者の無過失責任をベースに具体的には,拠出とそれに基づく給付という保険方式をとるものが多い。歴史的には19世紀後半に私保険の形で行われていたが,1884年に,まずドイツが社会保険制度にこれをとりいれた。現在,イギリスのように社会保障制度中の国民連帯に基づく国民保険に位置づけている国もあれば,フランスやドイツ,日本のように使用者責任を前提に国営の社会保険制度によるものもあり,またアメリカでは州運営の保険によるものや,民間保険会社に委託するなど,さまざまである。なお,ILOは労働災害とその保障について,どのような制度をとろうとも幅広く労働災害や通勤途上災害を対象に,被災労働者や家族の生活保障のために国際的な給付水準を設定すべく,ILO121号条約,それを補足するILO121号勧告を採択している(1964)。
いずれにしても,今日の産業社会において,労働災害は起こるべくして起こることを前提に,使用者のコスト負担として補償する思想が定着している。
日本では,労働災害とその補償について,個々の使用者の直接的な災害補償を定める労働基準法(1947年公布。以下,労基法と略)と,労働災害に対する使用者の補償の分損化を社会保険の形で行う労働者災害補償保険法(1947公布)とがある。労基法は,労働者を雇用する企業=使用者の,労働災害に対する補償責任とその法定最低給付を定めている。労基法は,業務上の負傷・疾病等に対して,医療給付を行う療養補償,現金給付として休業補償,障害補償,遺族補償,葬祭料などを定めているが,労働災害の場合でも労働者に重大な過失があるときは,休業補償や障害補償が行われない場合があり,また療養開始後3年経過しても治癒しない場合に療養・休業給付を打ち切る一時金による打切補償の定めもある。
労基法上の制度の限界を克服して,使用者の補償責任を分損化して補償を確実,迅速,公平にするために,法定拠出と法定給付による保険方式を定めているのが,労働者災害補償保険法である。国が保険者として,企業に雇用される全労働者を対象に強制適用がなされるほか,法で定める中小零細企業の一人親方などにも特別加入を定めている。なお,この制度の特別法として,船員保険法(1939公布),国家公務員災害補償法(1951公布),地方公務員災害補償法(1967)などがあるが,これらの法は,いずれもその給付などについては労働者災害補償保険法に類似する。
労働者災害補償保険法は,業務上の事由による負傷,疾病,障害,死亡(業務災害)とあわせて,法定の〈通勤事故〉による負傷,疾病,障害,死亡(通勤災害)を保険給付事由とし,労基法と同様に,療養補償,休業補償,障害補償,遺族補償,葬祭料などの給付を規定しているが,このほか療養後治癒しない場合の傷病補償年金に加え,福祉事業給付をも定めている。福祉事業給付は,法定給付に加えて,現金給付やリハビリテーションなどの付加給付を行うもので,労基法にはみられないものである。このように労働者災害補償保険法は,労基法にはみられない,〈通勤事故〉をも保険給付事由としたり,また打切補償に代えて傷病補償年金給付を定めたり,数多くの年金給付を定めるなど,労基法に比して労働者にとって有利な内容を規定している。なお,労基法に規定されている災害補償事由について,労働者災害補償保険法等に基づいて給付がなされる場合,使用者は補償の責めを免れる。この結果労基法上の労災補償規定が適用される余地はほとんどなくなった。
労働者災害補償保険法の保険料は,災害発生度に応じた保険料率によって使用者の負担を定める,いわゆるメリット制によっており,災害発生度の高い,危険の多い産業・企業の負担を多くする方式をとっている。
労働者災害補償保険法は,国営社会保険方式による強制適用を中心に,定型の最低限の補償を行うもので,被災者の心身の全損失をカバーするものではないことから,集団的な労使当事者の〈労働補償上積み協定〉などによって,労働者災害補償保険法の法定給付に加え,企業による〈上積み給付〉を行うことが広くみられる。
なお,企業の無過失責任原則に基づく労働者災害補償保険制度による法定給付と,企業の故意や過失責任に基づく労働災害に対する損害賠償責任制度とは,原因が同一であっても法的性格が異なり,加えて,前者の法定給付が定型・低額であることから,被災者の物質的・精神的損害の完全な回復を求めて,労働災害に対する損害賠償請求のために訴訟の提起(労災裁判)が広くみられる。
→労働安全衛生
執筆者:佐藤 進
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…一般職域の男子労働者を対象とする年金保険は41年労働者年金保険法として成立し,44年になって厚生年金保険と名称を改めるとともに適用範囲が拡大されて事務職員や女子を含むに至った。第2次大戦直後の47年になると失業保険と労働者災害補償保険が創設され,社会保険のすべての部門が出そろった。しかし,医療保険と年金保険の再建と拡大は,戦後の一般的窮乏,医薬品の不足,インフレなどの悪条件に妨げられて遅れた。…
…船舶保険では船舶自体の損害のほか,船舶衝突損害賠償,共同海損費用や船舶不稼働の利益損害等も塡補される。 なお公営の保険である労働者災害補償保険(政府労災),貿易保険(輸出保険)など(国が事業主体となっている)や中小企業信用保険,農業信用保証保険など(政府関係機関が事業主体となっている)も,損害塡補の保険という意味で損害保険といえる。また損害保険同様の制度として農業協同組合や生活協同組合などが実施している共済事業がある。…
※「労働者災害補償保険」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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