改訂新版 世界大百科事典 「労働安全衛生」の意味・わかりやすい解説
労働安全衛生 (ろうどうあんぜんえいせい)
労働者の就業にかかわる建設物,設備,原材料,ガス,蒸気,粉塵(ふんじん)などにより,または作業行動その他業務に起因して労働者が負傷し疾病にかかり,または死亡することを労働災害というが,それを未然に防止することはもちろん,さらに労働者が快適に作業できるよう作業条件・環境を適正に整備し併せて健康管理を行い労働者の安全と健康の確保を目的とする諸施策や活動をいう。その内容・基準については,労働基準法や労働安全衛生法(後述)を中心とする関係法規が定めているが,各事業場ではそれを遵守することはもちろん,さらに安全衛生水準向上のためきめ細かな対策が必要となる。土木・建設,鉱業,港湾荷役などの産業部門では死傷などの労働災害が多発し,製造工業でもとくに危険な機械を使用する木材加工業などでは負傷災害が少なくない。そのため危険な個所に覆いを設けるなど危険防止の措置が必要となる。技術革新は生産を飛躍的に向上させた反面,生産に関与する諸条件,たとえば温度,圧,流量などが極限に近く設定されているため,いったん事故が起これば多数の死傷者を出し災害の大型化を招くので,装置工業などでは生産施設の各要所の日常の点検を密にすることが欠かせない。また職場の労働者の中高年齢化が進むにつれて身体的・精神的機能低下を伴う中高年齢者の災害が多くなっているが,中高年齢者の適正な作業配置とともに中高年齢者が十分適応できるよう作業の再設計が望まれる。
オフィスオートメーション(OA)も含む職場の機械化や工場の加工組立てラインにみる大量生産と工程細分化の生産管理技術は新しい労働方法,労働形態を生み,そこでは局所過重負担からの眼精疲労,頸肩腕(けいけんわん)障害,腰痛症などの発生がみられるので,一連続作業時間と休憩の配分適正化,単調労働対策としての職務拡大や異種作業との組合せによる作業循環制などの措置が必要となる。また石油化学,合成化学の発達は新しい数多くの有害化学物質を作り,有機溶剤をはじめ各種の有害化学物質が広範な職場の作業環境に登場し,それによる中毒や多量の粉塵吸入による塵肺,あるいは騒音,振動,異常気圧,電離放射線など有害な物理的環境条件による職業性疾病(職業病)が起こることがある。有害物には発癌性のものもあるが,一般に有害作業環境には許容基準が示されているので,環境測定と健康診断のほか環境改善対策や,ときには保護具使用が要請される。総じて職場の安全衛生管理には,統括安全衛生責任者の任命や安全衛生委員会設置などの責任・管理体制の整備が要請される。
執筆者:斉藤 一
労働安全衛生法
職場の労働者の危害を防止し安全衛生の確保に努めることは,事業者(使用者)の当然の責任であるが,事業者の自発的努力に待つだけでは十分でないので,事業者に対して法律上の安全衛生義務を課し,行政監督・取締りによってその確実な実施を図っている。以前は労働基準法(1947公布)に若干の安全衛生関係規定があったが,1950年代後半からの高度経済成長に伴う産業社会の進展とも関連して,労働災害のエネルギーの潜在的・飛躍的増大に対処するため,労働安全衛生法(安衛法と略。1972公布)を中心に関係法令が整備された。イギリス,アメリカ,西ドイツ,フランスでも1970年代に同様の立法がなされている。
安衛法の概要は下記のとおりである。(1)安全衛生管理体制 労働者の危害防止のため,事業場に以下の者を選任し,また組織を設けることを内容とする。(a)総括安全衛生管理者 一定規模以上の事業場ごとに工場長,作業場長,支店長,事務所長など事業の実施を実際に統括・管理する権限と責任をもつ者があてられる。これは安衛法で新設された制度で,事業運営上の最高責任者と安全衛生管理の最高責任者を一致させることにより,危害防止を無視した生産第一主義に歯止めをかけようとするものである。(b)このほか,事業場には,安全衛生管理を担うべき安全管理者,衛生管理者,安全衛生推進者,産業医,作業主任者が選任されるべきことになるが,注目すべきは,産業医の専門性とその権限の強化である。産業医は労働者の健康管理,作業環境管理および作業管理等を行う医師であるが,1996年の法改正で,産業医の資格要件,および産業医の事業者への勧告権とこの権限行使を理由とする不利益取扱いの禁止が法定された。(c)統括安全衛生責任者と安全衛生責任者 建設業等数次の請負により事業が行われるところでは,事業現場の最高責任者にこの役目を与えて,下請・孫請等の末端の労働者の危害防止のため,作業間の連絡調整,安全衛生教育の指導援助等にあたらせることにした。(d)安全委員会と衛生委員会 安全衛生問題について労働者の意見を反映させるための諮問機関で,一定規模以上の事業場に設置が義務づけられる。
(2)労働者の危険または健康障害を防止するための措置 事業者は,機械設備,爆発・発火・引火性物質,電気・熱等のエネルギーによる危険,掘削・採石・土木作業等の作業方法・作業場所に伴う危険を防止し,また化学的(有毒ガス等),物理的(放射線,騒音,振動等)要因による健康障害,重量物の運搬やパンチ業務等の作業行動ならびに建物等の作業環境から生じる健康障害を防止するために必要な法定の措置をとらなければならない。事業者のほか,工事の注文者・請負人,機械・建築物等の貸与者,重量物の発送者にも必要な範囲で労働者の危害防止措置を義務づけている。
(3)機械等および有害物に関する規制 ボイラーや移動式クレーン等危険な作業を必要とする機械等につき,製造,輸入,譲渡,貸与,設置等その使用以前の段階で一定の規格に適合すべきことまたは所定の安全装置を具備すべきこと,および定期自主検査等が求められている。また安衛法は1977年に,職業病対策の充実・強化を目的として改正されている。この改正によって,労働者に重い健康障害をもたらすおそれのある有害化学物質の製造禁止,製造許可,表示の制度を設け,さらに事業者の有害物に対する事前調査義務を強化した。なお新規化学物質につき労働大臣から意見を求められた学識経験者の企業秘密秘匿義務が法定された。
(4)労働者の就業にあたっての措置 労働災害が危険有害物による場合のほか,作業に必要な知識,経験,技術等の不足によることも多いことから,事業者に対して安全衛生教育を実施すべき義務を課すほか,必要な免許・技能講習を受けない者の就業制限を義務づけている。労働基準法には女子・年少労働者を保護するため就業制限の規定がある。
(5)健康管理 事業者は有害な作業を行う屋内作業場等の作業環境測定を行い,また雇用する労働者の一般健康診断,特定の有害業務従事者の特別健康診断・歯科健康診断を行う義務を負う。事業者はまた,病者の就業制限および有害業務の作業時間制限の義務に従い,さらに快適な環境づくりに努力すべきことが期待される。労働大臣は5年ごとに〈労働災害防止計画〉を策定し,これに基づき,事業者とその団体等に対して労働災害防止に必要な勧告・要請をすることができる。安衛法に違反した事業者等に対しては,事業場施設,機械,建設工事等の計画変更,その使用停止・中止を命じ,また免許等の停止・取消しを行い,あるいは刑罰を科することができる。関連重要立法として,労働基準法,じん肺法,鉱山保安法,船員法等がある。
→安全管理 →危険有害業務
執筆者:保原 喜志夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報