動物保護(読み)どうぶつほご

日本大百科全書(ニッポニカ) 「動物保護」の意味・わかりやすい解説

動物保護
どうぶつほご

有史以来の野生動物の絶滅に人間による大量殺戮(さつりく)や生息環境の破壊などが大きくかかわっているという観点から、これらのことに歯止めをかける運動。

[加瀬信雄]

保護運動の沿革

18世紀末から、野生動物の絶滅は世界の各地で同時多発的におこり、とくに欧米において、それらを憂慮する気運が高まった。1886年の1年間で、ニューヨークの一商社が20万羽もの野鳥羽毛を女性用の装身具として加工し、売りさばいた記録がある。こうした野放図な乱獲への憂慮は、やがて野鳥保護運動として開花し、現在では会員40万人を超す世界一の動物保護団体であるアメリカのオーデュボン協会の設立(1905)をみるに至った。

 1887年、イギリスでは、ダイサギダチョウの羽毛を帽子に飾るファッションを見かねた人たちが立ち上がった。動物の羽毛を流行・ファッションの素材とみる人と、殺される動物の味方にたつ人たちとの戦いは、行政を巻き込み、1921年に「サギ類や鳥の羽の輸入を抑制する羽毛法」が成立するまで34年間も続いた。この運動が、ヨーロッパ最大の鳥類の保護団体である英国王立鳥類保護協会Royal Society for the Protection of Birds(RSPB、1889年設立)の母体となった。

 1899年にドイツ鳥類保護協会とオランダ鳥類保護協会が、1906年にデンマーク鳥学会が、1912年にはフランス鳥類保護連盟が誕生するなど、野生鳥獣の保護運動の輪は、民間レベルで次々と大きく発展していった。アジアでは日本野鳥の会が1934年に、韓国野生動物保護協会が1969年に、フィリピンのハリボン協会が1972年に結成され、野生鳥類の保護にあたっている。

[加瀬信雄]

保護の体制

動物保護を進めてゆくと、その国だけで解決できない問題にしばしば突き当たる。国境とは無関係に飛翔(ひしょう)する鳥類、海の中を自由に、あるいは陸に引かれた国境線とは無縁に移動する大形哺乳(ほにゅう)動物や昆虫などの小動物に対するには、国々がばらばらな行政で対応するより、お互いが協力しあってこそ保護の効果が高まるであろうという気運は、動物保護の運動に国際協力を芽生えさせた。こうしてできた国際自然保護連合(IUCN)、世界自然保護基金(WWF)、バードライフ・インターナショナル(旧称、国際鳥類保護会議)、国際湿地保全連合Wetlands International(旧称、国際水禽(すいきん)・湿地調査局)などは、民間レベルで国を越えて幅広く動物保護活動をしている。

 政府レベルでの動物保護としては「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」(ラムサール条約)が1971年に、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」(ワシントン条約)が1973年に成立したのをはじめ、当時のEC(ヨーロッパ共同体)を中心とした、「ヨーロッパ野生生物及び自然生息地の保護に関する条約」(ベルン条約、1982年成立)、「移動性野生動物種の保全に関する条約」(ボン条約、1983年成立)などの諸条約があげられる。また、野鳥の大半は国境とは無関係に繁殖地と越冬地間の渡りをするため、国際協力は欠かすことができない。このため、日ロ、日豪、日米など当該の二国間や、ヨーロッパなどの政府間でも、個別にそれぞれ渡り鳥条約を結んで保護している。

 動物保護には、個体そのものの保護のほか、生息地の保護も深くかかわってくる。ペリカンを乱獲から守るため、1903年アメリカ合衆国でルーズベルト大統領令によってペリカン島が国立鳥類保護区になったのをはじめ、イギリスやドイツの植民地であった時代の東アフリカに設けられた動物保護区は、絶滅に瀕した、あるいは放置すれば絶滅してしまう種を増殖・育成するために設けられた。6000万頭から数百頭に減ってしまったアメリカバイソンを絶滅の淵(ふち)から救ったアメリカ・モンタナ州の国立バイソン保護区は1908年に設けられている。

[加瀬信雄]

日本の保護運動

日本の動物保護についての動きは、欧米に比べてやや緩やかな進み方であった。1934年(昭和9)、日本野鳥の会が機関誌『野鳥』の発行によって鳥獣保護思想の普及活動を行い、一方では野山に出て自然や鳥獣を楽しむ「探鳥会」を始めた。1946年(昭和21)のGHQ(連合国最高司令官総司令部)の勧告に従って、その翌年に日本鳥類保護連盟が結成され、最初の事業としてバードデー(愛鳥の日)が設定された。この運動は野外での野鳥の観察や保護事業の推進を目的としたもので、1950年からはバードウィーク(愛鳥週間)と改称され、官民一体となった普及啓蒙(けいもう)活動が続けられている。

 日本の行政面での動物保護活動には、大きく三つの柱がある。

(1)鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律 1892年(明治25)狩猟規則が定められ、保護鳥獣の種類が法文化された。これにより、狩猟できる鳥獣の種と、それ以外にあたる一部の狩猟のできない保護鳥獣が決められ、ここに初めて動物保護の概念が生じた。1918年(大正7)狩猟法の改正が行われ、野生に生きる鳥獣はすべて保護動物であって、定められた一部の狩猟鳥獣を許可を得てとる以外、捕獲はいっさいできなくなった。このため、保護動物ということばは法律上では存在しなくなった。

(2)天然記念物 日本特産の鳥類や獣類は、文化財保護法という法律によって天然記念物や特別天然記念物に指定され、保護されている。

(3)特殊鳥類 1972年(昭和47)、日本とアメリカ合衆国との間で渡り鳥条約が調印されたとき、「特殊鳥類の譲渡等の規制に関する法律」を発効させ、輸出入の規制や譲渡の規制を法文化した。この法律は、1993年(平成5)施行の「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」(種の保存法)に吸収された。

[加瀬信雄]

生物多様性の保護と動物の保護

1992年「環境と開発に関する国連会議」(地球サミット)で採択された生物多様性条約も、動物保護にとって重要な意味がある。この条約において生物多様性とは、すべての生物の間の変異性を意味し、種内の多様性(遺伝的多様性)、種間の多様性、生態系の多様性を含む、とされている。

 生物多様性は包括的でわかりにくい概念であるが、簡単にいうと、地球の生き物はそれぞれが個性をもち、さまざまな関係でつながっているということである。その多様性のもつ価値を将来にわたり利用していくために、「地球の多様な生物をその生息環境とともに保全する」ことが、生物多様性条約の目的の大筋であるといえる。それは、生物資源および遺伝資源を持続可能であるように利用することであり、遺伝資源を利用することで得られる利益を公正で公平に分配することである。その背後には、人間にとって有用な自然資源は、先進国も開発途上国も平等に権利をもつという意味が含まれている。

 これを受けて日本国内法として、生物多様性基本法が2008年(平成20)に制定された。本法では、国や地方公共団体、事業者、国民の責務として、生物多様性の重要性を認め、外来生物が広がらないようにする、生物多様性に配慮した商品を選択する、地球温暖化を防止するなど、生物多様性の保全および持続可能な利用のため、積極的に組織的に取り組むことを求めている。

[加瀬信雄]

『今泉吉典・吉井正監修『万有ガイドシリーズ27 滅びゆく野生動物』(1984・小学館)』『今泉吉典監修、小野満春・加瀬信雄著『サイエンスアイシリーズ 滅びゆく野生』(1984・福武書店)』『藤原英司著『世界の自然を守る』(岩波新書)』『小原秀雄著『生物が一日一種消えてゆく』(講談社ブルーバックス)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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