( 1 )平安時代にすでに「えぼし(烏帽子)」といった複合語形が見られ、古くから日本語として使用されていた。禅宗においては、モウスと読み、僧侶の被りものの名称とされた。
( 2 )「帽子」の字音仮名遣いは、本居宣長の「字音仮名用格」によって「ばうし」とされ、昭和前期まではこの仮名遣いによっていたが、有坂秀世の「『帽子』等の仮名遣について」によって、「ぼうし」に訂正された。
防寒・防暑または礼装,装飾を目的としたかぶり物。その発生の歴史は古く,種類も多様である。クラウン(山の部分)とブリム(つば)からなるハットhat,頭巾型のフードhood,つばのないキャップcap,ひさしがつきあごで結ぶボンネットbonnetなどが基本型といえよう。
頭に何物かをかぶるという習慣は古くから発生していた。しかし,それは現代の帽子とは多分に異なった意味をもっていた。宝石,貴石,金などを素材としたエジプトのかぶり物は,王侯貴族の権威の象徴と呪術的な意義をもっていた。亜麻布のクラフトkraft(頭巾)は,防暑に通気性を考慮した鬘(かつら)とともにすべての人々が使用したかぶり物であった。下層民はフェルトや皮製のぴったりした半球型の帽子を用いた。西アジア,とくにペルシアの王侯貴族は,ししゅうに金,真珠,宝石などをちりばめたマイターmiter(幅広い飾りバンド)やティアラtiara(クラウンの高い冠),また一般にはフェルトやウール製のフリュギア型ボンネット,トークtoque帽がヘルメットとともに登場した。ベールはメソポタミアで始まり,後に女性の従順,貞淑のシンボルとなった。ギリシア人によって作られた青銅・シンチュウ(真鍮)製のヘルメットはローマに伝わり,美しい馬のたてがみを加えて威圧感を強調した。男性はつばの広い麦わら製のペタソスpetasosをかぶった。類似した形のトリアtholiaは女性用で,アシ(葦)の茎,麦わらなどで作られた。そのほかベレー,フード,ピルボックス,フリュギア帽などがいずれもローマに受け継がれ流行していった。これらはいずれも今日の帽子の原型といえる。皇帝,凱旋将軍の頭上を飾った月桂樹の冠は,多くの国々を征覇したローマの象徴であった。キリスト教が普及すると,罪の聖化として女性は頭をベールでおおうようになり,この風習は16世紀まで続いた。
ビザンティン帝国の王侯貴族は,光り輝く衣服とともに金を土台に宝石,貴石,真珠をふんだんに配した冠を用いた。女性は宗教的意味からベールで頭をおおうことを常とした。西欧ではビザンティンの影響を受け,衣服もかぶり物もしだいに華やかさを増した。なかでも15世紀フランスのブルゴーニュ宮廷で用いた円錐形のヘナン帽henninは高さが40cmから1mにも及んだ。これは当時のゴシック建築の尖塔の形を反映したものといわれている。その他エスコフィオンescoffion(ロール形のかぶり物でターバン型,ハート型など),シャプロンchaperon(肩まで垂れ下がった頭巾),リリパイプliripipe(細長い紐状の垂れ飾り)付きのフードなど,いずれも複雑な形とぜいたくな素材で装飾をこらしたものが多かった。
ルネサンス時代の衣服やかぶり物はたいへん美しい造型を見せていることが,当時の肖像画からうかがうことができる。とくにヘンリー8世と6人の妃たちの肖像画におけるかぶり物は見事な美しさである。また男子のベレーは,当時の衣服と同じようにスラッシュ(切り込み)を入れるなどデザインに多くの変化を見せている。枢機卿および知識階級のかぶったビレッタbirettaの一種は,後世,大学生の角帽となった。17世紀オランダの隆盛に続いてフランス宮廷がモードの中心地となると,大きな髪形と鬘への関心が高まるなかで,フェルトやビーバーの毛皮で作られ,ダチョウの羽根飾が付いたつばの広い帽子に人気が集まった。17世紀後半は洗練された男子服にトリコルヌtricorne(三角帽)が登場し,女子にはフォンタンジュfontangeと称するローンとレース製の髪飾が当時を代表した。18世紀はぜいたくをきわめた衣装とともに,最新流行のパリ製帽子が求められた。とくに18世紀後半,横に広がった衣装(ローブ・ア・ラ・フランセーズ)が小さくなるとすべてのポイントが頭上にのぼり,全身の真ん中に顔が位置するほど高い髪形とそれを包む巨大なフードやボンネットが流行した。それらはチュールやモスリンなどで作られ,リボン,ループ,レース,造花で飾られた。男子用はトリコルヌがほとんどであった。
フランス革命後はギリシア・ローマへのあこがれから,古典古代のスタイルが流行し,第一帝政時代にちなんでエンパイア・スタイルと呼ばれた。単純な服に単純な帽子が好まれ,ターバン,キャップ,コルネット,ボンネットが用いられた。ロマンティック時代(1815-40)には,なで肩を強調したドレスに大きいブリムの帽子をかぶり,華やかな羽根,タフタのリボン,造花を飾った。その後第二帝政時代(1852-70)になるとスカートはピラミッド型を形成し,その円周は5mにも及んだ。これらを効果的に見せるため帽子は対照的に小さくまとめられ,キャップ,ボンネット,ビビbibi型などになった。男子はクラウンの高いシルクハット,メロン形のフェルト帽,スポーツ用キャップなどを用いた。世紀末のバッスル・スタイルでは,特徴あるドレスのシルエットに調和させた小さい帽子を前方に傾斜させて用いた。羽根,リボン,造花など多様な素材を巧みに組み合わせて形づくった小粋な帽子であった。世紀末最後の10年間は,男性は絹製のシルクハットを正装用として用い,ダービー・ハット(フェルト帽)を通常とした。麦わらのボーターboater(カンカン帽)やパナマ帽が夏用として流行した。アール・ヌーボーの影響でS字形のシルエットに形づくられた女子服に用いた帽子は,大小を問わずダチョウの羽根,鳥の剝製,蝶結びなどを頭の上に直立させて飾っていた。
1907年ころまで途方もない大きい帽子が頭の上に据えられた。以後はしだいに小型化しクローシェcloche,トーク,セーラー・ハット,ターバンなどが登場し,第1次大戦後の新しいファッション期を迎える。男子はシルクハット,ソフト帽などを中心にスポーツ帽がしだいに多く用いられていく。1920~30年,女性の社会的進出に伴い衣服は合目的性,機能性が求められた。帽子もクローシェ,ベレー,ハットなどいずれも単純化された美しい形の帽子を,同じく単純なシルエットの服に組み合わせるようになった。生活の合理化により,礼容としての帽子の需要は減少し,単なるアクセサリーや実用としての役割が今後はますます考えられていくことになろう。
欧米の帽子が日本に導入されたのは,洋服を着用しはじめた19世紀半ばころで,シルクハットが最初であった。大正から昭和初期にかけて帽子が流行し,夏には上流階級ではパナマ帽,庶民はカンカン帽をかぶった。また,山高帽,中折帽,ハンチング,ベレーも愛好された。女子の場合は明治の鹿鳴館時代に,バッスル・スタイルのドレスとともに輸入され,貴族の女性たちの頭上を飾った。以来洋装の普及とともに一般の女性にも広まったが,男性の帽子のような流行は見られなかった。今日では男女ともにほとんど用いられなくなっているが,日よけ,防寒のためやスポーツ用として定着している。
→被り物(かぶりもの)
執筆者:大浜 治子
(1)仏事の装束名。牟子とも書く。白羽二重などの幅広く長い裂地(きれじ)の両端を縫い合わせて輪状にしたもので,これを畳んで形を整え,首をとおして襟に掛ける。防寒用の被服から出発して儀礼の衣帯(えたい)となったものなので,一定の資格以下の者は使用できないとか,夏季には使用しないとか,宗派によるきまりがある。また管長その他の高位の僧が頭上からかぶる宗派もある。縹帽子(はなだぼうし)という別称があり,能装束の花帽子(はなのぼうし)という名はこれから出たというが,実際に縹色(青色)の帽子を用いることがあるのは,真言系諸宗だけである。宗派により襟巻,裹頭(かとう),領帽(りようぼう),護襟(ごきん)などと称されることもある。また,金襴等で製し,頭上にいただく被り物があり,禅系,浄土系,法華系等中世以降に興った諸宗派で使用する。導師だけが用いるとか,職衆(しきしゆう)全員が用いるとかというきまりは宗派によって異なる。この帽子は,形状の異なる数種があり,立帽子,鼓山帽子,利休帽子(利久帽子),誌公(しこう)帽子,燕尾帽子などと呼称され,禅系ではモウスとも発音する。
執筆者:横道 万里雄(2)歌舞伎の鬘(かつら)の付属品。女方が額の生えぎわを隠すようにつけている裂。羽二重の鬘が考案される以前,蓑(みの)で作られた生えぎわの不自然さを見せないために考えられたもののなごりで,古風な味とともに色気も感じさせる。《鳴神》の絶間姫,《伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)》の政岡がつける紫ちりめん,《仮名手本忠臣蔵》八段目の小浪がつけるびらり帽子,同じく六段目のおかやがつける茶の婆帽子などのほか,頭全体を包む外出用の花見帽子がある。
執筆者:木村 雄之助
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
日本語の帽子には大別して四つの語義がある。(1)は烏帽子(えぼし)の略。(2)は綿帽子、布帽子などのような女性の被(かぶ)り物。(3)は西洋風の被り物。(4)は物の先端にかぶせるもの、である。しかし、今日一般では、ほとんど(3)の意味で使われている。
[石山 彰]
前述の(1)から(3)への語義的変化は、そのままわが国における帽子の歴史的推移を物語っているともいえる。すなわち、(1)の男子の被り物としての烏帽子は、飛鳥(あすか)・奈良時代幞頭(ぼくとう)(羅(ら)、紗(しゃ)、絹、麻の袋状の被り物)の変化したものとされ、平安末期になると、漆を塗って固めた各種の烏帽子が成立する。その後、武家社会の成立とともに、烏帽子は武士にとって不可欠の被り物となった。(2)の帽子は、室町時代に始まって江戸時代に盛んになる。綿帽子は防寒用、布帽子は外出用としてかぶられた。(3)の西洋風帽子の移入は南蛮人の渡来とともに始まった。南蛮笠(がさ)、南蛮頭巾(ずきん)などとして、戦国時代の武将間に愛好されたのがそれである。やがて、明治になって断髪令が施行される一方、洋服の導入などに伴って帽子そのものも西洋風に一変していった。
[石山 彰]
西洋の歴史に登場する帽子の型や名称はたいへん複雑であるが、イギリスのハリスンM.Harrison(参考文献参照)の説を参考に分類を試みると
のようになる。すなわち西洋の帽子は大別して〔1〕縁なし帽capまたはbrimless hatと〔2〕縁つき帽brimmed hatになるが、英語のハットは両者の総称として使われる。〔1〕は山、すなわちクラウンcrownの高低によって、さらに(1)(2)(3)の三つのタイプに分類される。
(1)のタイプに属するものにはキャロット(calotte小球帽)、コアフ(coiffe耳まで覆う小球帽)、スカルキャップ(skullcap椀(わん)形帽、頭蓋帽)などがあり、西洋中世に多く見受けられる。今日みられる野球帽やジョッキー・キャップ(jockey cap騎手帽)などは、この種のものに目庇(まびさし)がついたものである。またベレ型に属するものには典型的なベレ・バスク(béret basque)をはじめ、スコットランドのタモシャンター(tam-o'-shanter)やグレンガリー(glengarry)などがある。これらのベレ型の帽子は、西洋の初期ルネサンスから中期にかけての男子帽の中心をなしていた。いわゆる大黒(だいこく)頭巾に似たナイト・キャップやかつての水泳帽、あるいは目庇付きのハンチング(鳥打帽)やかつてのいわゆるスキー帽などもこのタイプである。また毛糸編みの長いストッキング・キャップもこのタイプの変種とみられる。
(2)のタイプに属するものには、原型的なポーク・パイ(pork pie hat)やトーク(toque)、フェズ(fezトルコ帽)、シェシア(chéchiaアラビア兵士のかぶる房付きの円筒帽)などがある。変形型にはオーバーシーズ・キャップ(overseas cap米軍の略帽)、レーニン帽などがある。また目庇付きのものにはカスケット(casquetteいわゆる学生帽形)、ケピ(képiフランス式軍帽形)またはシャコー(shakoケピに鳥の羽根がつく)、ミュツェ(Mütze山が広く平板なドイツ式軍帽)、モーターボード(mortor boardいわゆる角帽)など代表的な制帽が含まれる。
(3)のタイプに属するものにはバズビー(busby丈高い毛皮の円筒帽)、ベアスキン(bearskinイギリス近衛(このえ)兵などにみる熊皮帽)、クラウン・キャップ(clown cap道化師用の丈高い円錐(えんすい)帽)、あるいは中世婦人独特の被り物エナン帽(hennin丈高い円錐帽)などがある。
〔2〕の帽子は、縁つまりブリムの広狭ばかりでなく、その湾曲の状態、および山の高低とその形状の三要素の複合関係からさまざまな変化形が生じ、その合計の特徴から独自の呼称が与えられる。
(4)(5)のタイプでは、たとえばボーラー(bowler山高帽、アメリカではダービーDerby)は山が丸く、狭い縁が上方に反り返っている。これから派生したホンバーグ(homburg中折帽)は周知のように山は凹形で、中幅の縁が通例は水平状に保たれる。チロリアン・ハットは先細りの山に中幅の縁の後方だけが上反りになっている。セーラー・ハットやカノチエ(canotierカンカン帽)は、山が平らで中幅の縁もまったく水平である。これに対してトーピー(topee, topi熱帯地用の防暑帽)の山は半球で、水平の狭い縁がついている。一方、クロッシュ(cloche釣鐘(つりがね)帽)という婦人帽は、山は丸いが縁が下向きなのが特徴である。
(6)のタイプについていえば、たとえばキャプリヌ(capline婦人の日よけ帽)は、山の形に関係なく縁が幅広く波形にうねっているのが特徴である。これに対しピクチャー・ハット(picture hat華麗な帽子の意。別名ゲーンズボロー・ハットGainsborough hatともいう)の縁は総じて下向きであるのに、プロフィール・ハット(profile hat)は縁の一方が巻き上がってS字形に湾曲し、横顔を生かす帽子になっている。男子帽の例では17、18世紀のトライコーン(tricorn三角帽)や19世紀初めのバイコーン(bicorn二角帽)の縁は上向きに反り返り、かつ波状に湾曲している。(6)のタイプで山も高いものにはソンブレロ(sombrero)、テンガロン・ハット(tengallon hat)などがあり、縁の狭いものにはシルク・ハット、さらにロールした縁のものには中世のシュガー・ローフ・ハット(sugar-loaf hat棒砂糖形帽子)がある。
[石山 彰]
『R. Turner WilcoxThe Mode in Hats and Headdress (1948, Charles Scribner's Sons, New York)』▽『Michael HarrisonThe History of the Hat (1960, Herbert Jenkins, London)』▽『Hilda AmphlettHats, a history of fashion in headwear (1974, Richard Sadler, Mill Lane, Buckinghamshire)』
僧の頭を包むもの。「もうす」は禅宗の呼称。真言宗や浄土宗では、「ぼうし」と称する。頭巾(ときん)、頭袖(とうちゅう)、禅巾(ぜんきん)などともいう。『四分律(しぶんりつ)』巻40によると、寒いとき、比丘(びく)が、頭が冷えて痛みを訴えたため、仏は頭を包む帽子(綿か毛でつくる)を許した。したがって、僧服の威儀を整えるためのものでなく、耐寒のためであった。
中国では、斉(せい)の武帝に迎えられた宝誌(ほうし)が最初につけたことから、誌公帽子(しこうもうす)といわれ、これは立(たて)帽子や角(かく)帽子をいう。また、廬山(ろざん)の慧遠(えおん)が請雨のとき、布に水の字を書いてかぶったところから名づけられた水冠(すいかん)があり、これは横(よこ)帽子といわれる。僧が帽子をつけることは唐代より制定されたが、これは、俗人が冠(かん)をつけるのに準じた習慣によるもので、宋(そう)代の禅宗において盛んに用いられた。日本では、平安時代から制定されていたようで、僧階により金襴(きんらん)などでつくられた。現在では、法要のとき導師が着用する。また、外出の際にかぶる不老帽、茶人帽なども帽子の一種である。
[川口高風]
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…刃文は形によって〈直刃(すぐは)〉(まっすぐの刃文)と〈乱刃(みだれば)〉に大別され,直刃には刃の幅の広狭により〈細直刃〉〈広直刃〉〈中直刃〉などの別があり,乱刃には形によって,〈丁子乱(ちようじみだれ)〉(チョウジの花の形に似るという)や〈互の目(ぐのめ)乱〉〈三本杉〉〈濤瀾(とうらん)乱〉〈のたれ(湾れ)〉などがある。切先部の刃はとくに〈帽子(鋩子(ぼうし))〉といい,直ぐのもの,乱れるもの,掃(は)き掛けるもの,火炎状に立ち上るものなどがあり,先のほうはまるくなるか,とがるか,掃き掛けるかして棟のほうへ返るものである。返らぬものは〈焼詰め〉という。…
…
[被り物]
衣帯としての被り物には,一定の形状に作った冠帽を頭に頂くものと,無地の裂の両端を縫い合わせて輪状にした布を着装するものとがある。前者には,誌公(しこう)帽子,燕尾(えんび)帽子,水冠(すいかん)などいくつかの種類があり,主として浄土宗や禅系諸宗で用いられる。後者は,単に帽子とも,花帽子(はなのぼうし),縹(はなだ)帽子とも称し,諸宗で用いるが,これを頭上からすっぽりかぶる着装法と,襟巻のように襟の部分に掛ける着装法とある。…
…被り物は身分や役割のはっきりしている社会,また文化の爛熟期に発達している。
【日本】
冠,帽子,頭巾,笠,手ぬぐいなどの種類があり,材料としては絹,麻,木綿,ラシャ,紗,紙,藺(い),菅(すげ)などが用いられている。時代,身分,地域により独自の形態や用途がみられる。…
※「帽子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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