昭和期の洋画家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
洋画家。名古屋市生まれ。京都の同志社中学を中退して鹿子木孟郎(かのこぎたけしろう)の画塾に学び(1919~21)、のち津田青楓(せいふう)の画塾に入る。1932年(昭和7)二科展に初入選、京都洋画協会の創立に参加。やがて独立美術協会展に出品を始め、京都青年美術クラブを結成した37年ごろにはシュルレアリスムの明らかな影響を示した。同年の『空港』、翌年の『眠られぬ夜の為(ため)に』などの幻想風から、独自の哲学的な様式へと進む。39年美術文化協会の創立に参加。第二次世界大戦後は日本アヴァンギャルド美術家クラブ、京都新美術人協会などを結成し、関西前衛画壇に大きく貢献した。また日本美術会京都支部長を務め、『クオ・ヴァディス』などに切実な現実性を求めて新画風を試みた。
[小倉忠夫]
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