北脇昇(読み)キタワキノボル

デジタル大辞泉 「北脇昇」の意味・読み・例文・類語

きたわき‐のぼる【北脇昇】

[1901~1951]洋画家愛知の生まれ。鹿子木孟郎かのこぎたけしろう津田青楓つだせいふう師事シュールレアリスム影響を受け、京都にあって、関西前衛美術の発展に貢献した。

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精選版 日本国語大辞典 「北脇昇」の意味・読み・例文・類語

きたわき‐のぼる【北脇昇】

  1. 画家名古屋生まれ。シュールレアリスムの影響を受け、京都にあって、関西前衛美術の発展に貢献した。明治三四~昭和二六年(一九〇一‐五一

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20世紀日本人名事典 「北脇昇」の解説

北脇 昇
キタワキ ノボル

昭和期の洋画家



生年
明治34(1901)年6月4日

没年
昭和26(1951)年12月28日

出生地
愛知県名古屋市

学歴〔年〕
同志社中〔大正6年〕中退

経歴
大正8年鹿子木猛郎の下鴨画塾(京都)を経て、昭和5年津田青楓画塾に転じる。6年第19回二科展に初入選。7年独立美術京都研究所の設立尽力以後、独立美術展に出品。10年新日本洋画協会を結成。12年「独活(うど)」を独立美術展に出品、この頃よりシュールレアリスム的な作品発表。14年美術文化協会の結成に参加戦後は22年日本アヴァンギャルド美術家クラブ結成に参加、また京都新美術協会を創立。23年日本美術会京都支部長となり、関西の前衛画壇に大きな貢献を果たした。他の代表作に「空港」「クオ・ヴァディス」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「北脇昇」の意味・わかりやすい解説

北脇昇
きたわきのぼる
(1901―1951)

洋画家。名古屋市生まれ。京都の同志社中学を中退して鹿子木孟郎(かのこぎたけしろう)の画塾に学び(1919~21)、のち津田青楓(せいふう)の画塾に入る。1932年(昭和7)二科展に初入選、京都洋画協会の創立に参加。やがて独立美術協会展に出品を始め、京都青年美術クラブを結成した37年ごろにはシュルレアリスムの明らかな影響を示した。同年の『空港』、翌年の『眠られぬ夜の為(ため)に』などの幻想風から、独自の哲学的な様式へと進む。39年美術文化協会の創立に参加。第二次世界大戦後は日本アヴァンギャルド美術家クラブ、京都新美術人協会などを結成し、関西前衛画壇に大きく貢献した。また日本美術会京都支部長を務め、『クオ・ヴァディス』などに切実な現実性を求めて新画風を試みた。

[小倉忠夫]

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百科事典マイペディア 「北脇昇」の意味・わかりやすい解説

北脇昇【きたわきのぼる】

画家。名古屋市生れ。1917年同志社大学中退。鹿子木孟郎,津田青楓に学ぶ。1932年二科展入選。1938年シュルレアリスム系の創紀美術協会結成に参加。1947年には日本アバンギャルド美術家クラブに参加,関西の前衛美術運動を支えた。作風はシュルレアリスムの手法が顕著。代表作《空港》《クォ・バディス》。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北脇昇」の解説

北脇昇 きたわき-のぼる

1901-1951 昭和時代の洋画家。
明治34年6月4日生まれ。鹿子木孟郎(かのこぎ-たけしろう),津田青楓(せいふう)の塾でまなぶ。シュールレアリスムの影響をうけた作品を発表。戦後,日本アヴァンギャルド美術家クラブ,京都新美術人協会などを結成した。昭和26年12月28日死去。50歳。愛知県出身。同志社中学中退。代表作に「空港」「クオ・ヴァディス」など。

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367日誕生日大事典 「北脇昇」の解説

北脇 昇 (きたわき のぼる)

生年月日:1901年6月4日
昭和時代の洋画家。日本美術会京都支部長
1951年没

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