浄土宗で旧暦10月6日から15日まで10日10夜行う別時念仏のこと。十夜法要。1430年(永享2)に平貞経・貞国父子によって京都の真如堂(天台宗)ではじめられたという。今でも真如堂では11月5日から15日まで十夜念仏が修せられている。1495年(明応4)ころ観誉祐崇上人が鎌倉光明寺で浄土宗ではじめて十夜の法会を行った。十夜は〈無量寿経〉巻下の〈此に於て善を修すること,十日十夜すれば,他方の諸仏の国土において善をなすこと千歳するに勝れたり〉というのによる。江戸時代の大和(奈良県)高取では10月14日の夜,参籠・通夜したものに十夜粥(小豆粥)を出していた。宮城県栗原市では10月16日に農作の間に殺した虫の霊を慰めるための虫供養がある。福島県でも10日に念仏講があった。真言宗では14日を十夜といい,聖霊祭を行っている。このころは稲の収穫祭である亥子(いのこ)の時期でもあった。
執筆者:田中 久夫
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陰暦10月6日から15日まで、10昼夜にわたり修される別時念仏法要(ねんぶつほうよう)。十夜会(じゅうやえ)、御十夜(おじゅうや)ともいう。「善を修すること十日十夜なれば、他方諸仏国土において善をなすこと千歳ならんに勝る」「十日十夜散乱を除捨し、精勤(しょうごん)して念仏三昧(さんまい)を修習」などと経典に出拠するが、法要の形をとったのは室町末期の永享(えいきょう)年中(1429~41)のことで、平貞国(さだくに)が京都黒谷の真如堂(しんにょどう)に三日三夜、念仏参籠(さんろう)の暁、夢想を得て引き続き七日七夜の念仏を行ったのに由来するといわれる。真如堂では比叡山常行堂(ひえいざんじょうぎょうどう)に伝えられた引声(いんぜい)念仏作法により修せられてきた。1495年(明応4)勅許により鎌倉光明寺(こうみょうじ)に移修し、以後、浄土宗の法要となった。
[西山蕗子]
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…初め蓮華寺また悟真寺と称したが,のち現在地に移し霊夢を得て光明寺と改めたという。8世観誉祐崇は1495年(明応4)宮中に召され,清涼殿にて浄土三部経ならびに引声念仏を修して後土御門天皇の帰依を厚くし,同年勅願所の綸旨を賜るとともに,十夜法要の勅許を得た。これが〈お十夜〉のはじまりである。…
※「十夜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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