千々石ミゲル(読み)ちぢわみげる(英語表記)Chijiwa Miguel

日本大百科全書(ニッポニカ) 「千々石ミゲル」の意味・わかりやすい解説

千々石ミゲル
ちぢわみげる
Chijiwa Miguel
(1569/1570―?)

天正(てんしょう)遣欧使節の一人。本名清左衛門(せいざえもん)。千々石直員(なおかず)の子。ミゲル洗礼名。九州のキリシタン大名大村純忠(おおむらすみただ)の甥(おい)で、同じく有馬晴信(ありまはるのぶ)の従弟(いとこ)にあたる。1580年(天正8)洗礼を受けて、有馬(長崎県)のセミナリオ(小神学校)に入った。バリニャーノの勧めで、有馬、大村両大名を代表する少年使節団の正使として選ばれ、1582年伊東マンショらと長崎港を出帆、翌1583年ローマで教皇に謁見した。1590年禁教下の日本に戻り、翌1591年豊臣秀吉(とよとみひでよし)に謁し、イエズス会に入会した。しかし1600~1603年(慶長5~8)の間に脱会し、大村喜前(よしあき)(1569―1616)に仕えた。1620年(元和6)には異教徒として長崎に住んでいたが、その後の消息は不明である。使節の一人としての夢は破れ、不遇な晩年を送った。

[宮崎賢太郎 2018年3月19日]

『ルイス・フロイス著、岡本良知訳註『九州三侯遣欧使節行記』(1942・東洋堂)』『デ・サンデ編、泉井久之助他訳『新異国叢書5 天正遣欧使節記』(1969・雄松堂書店)』『松田毅一著『天正少年使節』(角川新書)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「千々石ミゲル」の意味・わかりやすい解説

千々石ミゲル
ちぢわミゲル

[生]永禄11(1568)頃.肥前
[没]?
安土桃山時代天正遣欧使節の一人。名は清左衛門。肥前有馬大村氏の一族。天正遣欧使節の副使として天正 10 (1582) 年宣教師アレッサンドロ・バリニャーノに率いられ渡欧。同 18年帰国。豊臣秀吉に謁したのち肥前に帰り,イエズス会に入会,イルマン (伊留満)となったが,数年後棄教したという。その後の消息は不明。 (→伊東満所 )

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