千仏ともいうが、正しくは賢劫(けんごう)千仏という。過去に4人の仏が現れ、将来は弥勒(みろく)以下996仏が出現するという、仏教の千仏思想に基づいて、俗的には仏の力を強めるために、一つの場所に1000体もしくは1000体に擬した多数の仏像を彫刻したり、描いたりしたもの。洞窟(どうくつ)寺院の壁面、仏像の光背(こうはい)、堂塔や厨子(ずし)の壁面や扉などにみられ、堂内に丸彫り像を安置することもある。インドのアジャンタ、中国では敦煌(とんこう)千仏洞や雲崗(うんこう)が有名。日本でも古くから千体仏がつくられ、650年(白雉1)に山口大口費(やまぐちのおおぐちのあたい)が千仏像を刻んだという記録があり、現存する法隆寺の玉虫厨子の内面の千体押出仏がそれではないかという説もある。長谷(はせ)寺銅板法華(ほっけ)説相図の押出千体仏は7世紀の作例であり、東大寺七重塔内にも押出千仏があったという。東大寺大仏の蓮弁(れんべん)には過去・現在・未来の三世の千体釈迦(しゃか)、計三千仏が表されており、唐招提寺(とうしょうだいじ)本尊の蓮弁にも同様の絵があった。また同像の光背は千仏光背の好例である。
平安時代にはごく短時日のうちに画像、立体彫像などで千体をつくる例が多く、摺仏(すりぼとけ)の場合もある。造像例としては1132年(長承1)の鳥羽(とば)上皇御願の宝荘厳院(ほうしょうごんいん)の千体釈迦像、1176年(安元2)の法住寺南殿小千手堂の千一体千手観音、藤原道長発願の法成(ほうじょう)寺にあったといわれる百体釈迦、百体観音(かんのん)なども著名である。また現存する京都・蓮華(れんげ)王院三十三間堂のように、1000体の像を安置するための堂をつくる場合も多く、白河得長寿院(とくちょうじゅいん)にも丈六聖(しょう)観音に五百体聖観音を置いた三十三間堂があった。こうした大きな像以外に一尺(約30センチメートル)余りの小像の例はさらに多く、鎌倉時代に入ると千体地蔵も多数つくられている。
[佐藤昭夫]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…千体仏の略で,ほぼ同形同大の仏像を数多く配列した彫刻や絵画をいう。その起源はインドにあり,大乗仏教の成立に伴いしだいに発展した千仏思想が具象化されたものである。…
※「千体仏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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