千町無田(読み)せんちようむた

日本歴史地名大系 「千町無田」の解説

千町無田
せんちようむた

[現在地名]九重町田野 千町無田

田野たのの東方、崩平くえんひら山南麓の平原。千町牟田・千町蕪田ともみえる。「豊後国風土記速見郡に記される田野の地で、白鳥伝説を伝える。現在当地の西端に年の神の祠があり、茅屋根の葺替えや新米の団子祭などの行事が行われているが、祠の前が長者の屋敷跡という。その南を流れる川が長者が一喝して音がしなくなったという音無おとなし川で、「豊後国志」「玖珠郡志」などには鳴子なるこ川などとともにみえる田野七奇・七不思議・七異跡の一で、これらを詠込んだ向井去来榎本其角恵良えら村の長野馬貞、日田坂本朱拙、長野りんなどの句が紹介されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「千町無田」の意味・わかりやすい解説

千町無田
せんちょうむた

大分県西部、玖珠(くす)郡九重町(ここのえまち)田野の飯田高原(はんだこうげん)にある湖跡平地。東西約2キロメートル、南北約1キロメートル、標高870メートル。「朝日長者餅(もち)の的(まと)」伝説の地で、『豊後国風土記(ぶんごのくにふどき)』に、昔この地大いに肥えて、水田開け、百姓その富におごって、餅を的にしたところ、白鳥と化して飛び去り、百姓は死に絶え、荒れ果ててしまったと記してある。1889年(明治22)の筑後(ちくご)川の大洪水で土地を失った久留米(くるめ)地方の人々20戸が、青木丑之助(うしのすけ)に率いられて1894年入植、苦労して沼地を干拓し、1903年(明治36)170ヘクタールの田畑を得た。第二次世界大戦後、南隣の鳴子(なるこ)川軽石流の台地に入植した開拓者によって秋出しキャベツの栽培が成功している。西側をやまなみハイウェイが通じる。

[兼子俊一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「千町無田」の意味・わかりやすい解説

千町無田
せんちょうむた

大分県西部,九重町東部の集落。飯田高原の北東部にある高冷地水田地帯。『豊後国風土記』の「朝日長者餅の的」の伝説の地。 1889年の筑後川大洪水で土地を失った人々を救済するために,旧久留米藩士青木丑之助が 94年に 20戸の農民とともに入植したのが始り。 1905年秋田から耐冷品種を導入して水稲栽培に成功。周辺山地の草地を利用する畜産や,高冷地野菜およびシイタケの栽培も行われる。九州横断道路 (やまなみハイウェー) が通じる。

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