南人(読み)ナンジン

デジタル大辞泉 「南人」の意味・読み・例文・類語

なん‐じん【南人】

南部に住む人。南方の人。
中国の代、滅亡した支配下にあった住民呼称。特に元代には、元に最後に服属した南宋の住民をさし、最も冷遇された。

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精選版 日本国語大辞典 「南人」の意味・読み・例文・類語

なん‐じん【南人】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 南方に住む人。南国の人。
    1. [初出の実例]「Nanjinni(ナンジンニ) ユキヲ イイ ホクジンニ ウメヲ ユウ」(出典日葡辞書(1603‐04))
    2. [その他の文献]〔論語‐子路〕
  3. 中国、金・元時代の宋の遺民の呼称。特に元では南宋治下にあった江南の住民をさし、その社会的地位は最も低かった。〔金史‐輿服志下〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「南人」の意味・わかりやすい解説

南人(朝鮮)
なんじん

朝鮮、李朝(りちょう)時代の、党争における党派の一つ。1591年、西人の領袖鄭澈(りょうしゅうていてつ)が失脚したときに、東人のうち西人に対して温和論をとった政治集団として形成された。その領袖柳成龍(りゅうせいりゅう)は、壬辰倭乱(じんしんわらん)(秀吉朝鮮侵略)時の領議政として功あったが、乱後、南人は政権から遠ざかった。17世紀後半、西人との礼論を機に再進出し、粛宗(しゅくそう)(在位1674~1720)初年に政権を握ったが、1680年庚申獄(こうしんごく)により勢力を失った。その後は、正祖(在位1776~1800)朝に蔡済恭(さいせいきょう)らが重用されたりしたが、全体としては劣勢な党派にとどまった。そのなかから李(りよく)、丁若鏞(ていじゃくよう)ら、実学の大家を輩出している。

[糟谷憲一]


南人(中国)
なんじん

中国の東北や北方から興った金、元両王朝の支配下に入った南方の宋(そう)人をさした呼称。金代には旧北宋人、元代には旧南宋人をさす。元代社会では、モンゴル政権への服属の先後が社会的序列の高下となっていたため、最後に服属した南人は蒙古(もうこ)(モンゴル)、色目(しきもく)、漢人(旧金国人)の下に位置し、政治権利のうえで冷遇された。

[松田孝一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南人」の意味・わかりやすい解説

南人
なんじん
nan-ren; nan-jên

蛮人,南家子ともいう。中国,代にその治下に編入された宋の民に対する称。金では河南,山東の北宋の遺民,元では江南の南宋の遺民をいう。これらの地方を征服する前にその治下に入った中国人は漢人と称され,両者の公的地位に差が設けられた。特に元では第1,第2身分のモンゴル人,色目人に対し,第3,第4身分の漢人,南人は被支配階級とされ,任官,刑罰,租税,禁令その他で不利益を受けた。

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普及版 字通 「南人」の読み・字形・画数・意味

【南人】なんじん

南方の人。〔論語、子路〕子曰く、南人言へることり、曰く、人にして恆(つね)無くんば、以て巫(ふい)と作(な)るべからずと。善い夫(かな)。

字通「南」の項目を見る

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旺文社世界史事典 三訂版 「南人」の解説

南人
なんじん

金〜元代に南方の中国人をさした呼称
元は治下の諸民族をモンゴル人・色目 (しきもく) 人・漢人・南人と4つに区分したが,南人は最後まで元に抵抗したので,報復の意味でこれを北方の漢人の下に位置付けた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「南人」の解説

南人(なんじん)

蛮子(マンジ)

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世界大百科事典(旧版)内の南人の言及

【色目人】より

…中国元代に用いられた社会的身分をあらわす用語。元朝は治下の諸民族を蒙古人,色目人,漢人(旧金国支配下の中国人と契丹,女真,高麗人),南人(旧南宋領内の中国人)の四つに区分し,この順位でそれぞれの身分,待遇に差等をつけた。色目人とはもろもろの種類の人を意味する諸色目人の略でウイグル,ナイマン,タングート,カルルク,キプチャクをはじめペルシア,アラブ,ヨーロッパ等の二十数種の諸民族を包含する。…

【党争】より

…李朝中期に勲旧派(中央貴族層の既成官僚)が士林派(在地両班(ヤンバン)層の新進官僚)に対して行った士禍とよばれる弾圧の後,士林派が1565年に政権を掌握するが,士林派は1575年に東人(改革派)と西人(保守派)に分裂した(ただし,東人が優勢)。さらに91年には西人への対応策をめぐって東人が南人(穏健派)と北人(強硬派)に分かれた(ただし,南人が政権を担当)。東人,西人,南人,北人の呼称は,各派の居住地域がそれぞれソウルの東,西,南,北に集中していたことから生じた。…

※「南人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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