朝鮮、李朝(りちょう)時代の、党争における党派の一つ。1591年、西人の領袖鄭澈(りょうしゅうていてつ)が失脚したときに、東人のうち西人に対して温和論をとった政治集団として形成された。その領袖柳成龍(りゅうせいりゅう)は、壬辰倭乱(じんしんわらん)(秀吉の朝鮮侵略)時の領議政として功あったが、乱後、南人は政権から遠ざかった。17世紀後半、西人との礼論を機に再進出し、粛宗(しゅくそう)(在位1674~1720)初年に政権を握ったが、1680年庚申獄(こうしんごく)により勢力を失った。その後は、正祖(在位1776~1800)朝に蔡済恭(さいせいきょう)らが重用されたりしたが、全体としては劣勢な党派にとどまった。そのなかから李(りよく)、丁若鏞(ていじゃくよう)ら、実学の大家を輩出している。
[糟谷憲一]
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…中国元代に用いられた社会的身分をあらわす用語。元朝は治下の諸民族を蒙古人,色目人,漢人(旧金国支配下の中国人と契丹,女真,高麗人),南人(旧南宋領内の中国人)の四つに区分し,この順位でそれぞれの身分,待遇に差等をつけた。色目人とはもろもろの種類の人を意味する諸色目人の略でウイグル,ナイマン,タングート,カルルク,キプチャクをはじめペルシア,アラブ,ヨーロッパ等の二十数種の諸民族を包含する。…
…李朝中期に勲旧派(中央貴族層の既成官僚)が士林派(在地両班(ヤンバン)層の新進官僚)に対して行った士禍とよばれる弾圧の後,士林派が1565年に政権を掌握するが,士林派は1575年に東人(改革派)と西人(保守派)に分裂した(ただし,東人が優勢)。さらに91年には西人への対応策をめぐって東人が南人(穏健派)と北人(強硬派)に分かれた(ただし,南人が政権を担当)。東人,西人,南人,北人の呼称は,各派の居住地域がそれぞれソウルの東,西,南,北に集中していたことから生じた。…
※「南人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
働き手が自分の働きたい時間に合わせて短時間・単発の仕事に就くこと。「スポットワーク」とも呼ばれる。単発の仕事を請け負う働き方「ギグワーク」のうち、雇用契約を結んで働く形態を指す場合が多い。働き手と企...
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