1985年8月の第16回「南太平洋フォーラム(SPF)」(現「太平洋諸島フォーラム(PIF)」16か国・自治地域)総会で採択され、その後、フィジー、クック諸島、ニウエ、ツバル、キリバス、西サモア(現サモア)、ニュージーランド、オーストラリアの署名・批准を得て、1986年12月11日に発効した非核地帯(nuclear free zone)を設置する条約。署名地名からラロトンガ条約と通称される(ラロトンガはクック諸島の主島)。2009年9月までに13か国が批准、マーシャル諸島、ミクロネシア連邦、パラオが未署名である。この条約の背景にあったのは、1966年以降のフランスの同地域における核実験への懸念であったが、1983年にオーストラリアに労働党政権が誕生したことで条約の起草が急速に進んだ。条約の禁止対象は、核兵器だけでなく、平和目的も含むすべての「核爆発装置」であり、締約国はその製造、取得、所有、管理、配置、およびそのための援助の受領・供与(3条)、また自国領域内における核爆発装置の実験が禁止(6条)される。外国(原子力)艦船、航空機の通過・寄港については、各締約国の主権的判断に任せている(5条)。本条約は非核地帯条約として初めて、放射性廃棄物、他の放射性物質の投棄禁止を規定した。第一議定書は、この地域に属領などをもつアメリカ、イギリス、フランス3国による属領での核爆発装置の製造、配置、実験を禁止する。第二議定書は、アメリカ、イギリス、フランス、中国、ソ連(現ロシア)の5核兵器国の締約国に対するあらゆる核爆発装置の使用、またはその威嚇を禁止する。第三議定書は、5核兵器国による条約適用地域内での核爆発装置の実験を禁止する。第二、三議定書については、ソ連が1986年に署名、1988年批准、中国も1987年に署名、1988年に批准を行った。アメリカは1987年に調印はしないが条約規定を尊重する旨の声明を発表し、イギリスもこれに同調していた。この地域にしか核実験場をもたないフランスは当初、調印の意志をみせなかった。しかし冷戦終結後、核軍縮が進展するとともに1995年の核不拡散条約(NPT)の無期限延長時に核実験禁止が次の課題として急浮上したことから態度が変わった。包括的核実験禁止条約(CTBT、未発効)調印目前の1995年夏に最後の核実験を行ったフランスは、1996年3月、アメリカ、イギリスとともに三つの議定書に署名した。フランスは1996年、イギリスも1997年に批准した。アメリカは未批准であったが、2010年5月に核不拡散条約(NPT)運用再検討会議において議定書を批准し、条約締約国に核兵器を使用しない方針を明らかにした。この条約は後のアフリカや東南アジアの非核地帯条約の先駆けとなり、南半球における非核地帯の拡大に大きな役割を果たした。
[納家政嗣]
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通称ラロトンガ条約。1985年8月,クック諸島のラロトンガで開かれた第16回南太平洋諸国会議で採択され,その後,周辺地域の署名,批准を得て86年12月に発効した非核地帯設置の条約。一部北太平洋を含む南太平洋地域での,すべての核爆発装置の実験,製造,貯蔵,取得,所有,管理を禁止し,放射性廃棄物の投棄を禁止した。のちのアフリカや東南アジア地域における非核地帯条約の先駆けとなった。
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