赤湯温泉(読み)あかゆおんせん

日本歴史地名大系 「赤湯温泉」の解説

赤湯温泉
あかゆおんせん

[現在地名]南陽市赤湯

JR赤湯駅から東へ一・五キロ、吉野よしの川左岸旧赤湯村の中心部にある。温泉の起源について、寛治七年(一〇九三)源義綱が出羽遠征の際発見したとする説(八幡神社縁起)、正和元年(一三一二)米野与惣左衛門が薬師如来の霊夢により大湯発見の伝えもあるが(元禄一四年「赤湯縁起」米文書)、いずれも真偽は不明。しかし、近世を通じて四湯数えられる温泉のうち、おお湯と丹波たんば湯は古い温泉で、中世末から近世初期には存在したと考えられる。大湯は湯守の米杢之助が湯神を祀り、深山しんざん寺を別当として湯を支配していたが、明和二年(一七六五)森平右衛門事件に連座して御殿守佐藤平治兵衛が闕所になってから、この跡を引受けて寛政八年(一七九六)まで米沢藩主専用の御殿守を兼ねていた。幕末には大湯は三つに仕切られ、一つは藩主専用の御留湯とされ、御殿守・丸森与五右衛門・米杢之助・近江屋・大文字屋が共同管理に当たっていたという。


赤湯温泉
あかゆおんせん

[現在地名]鳴子町大口

江合えあい川右岸、川渡かわたび温泉の西方約三キロ、胡桃くるみヶ岳の北方越戸こえど山の麓にある温泉で、赤梅あかばい(這)の湯の略称。開湯年代は不明だが、宝暦年中(一七五一―六四)には大口おおくちわし屋敷の金藤が運上五〇〇文を納め湯守を勤めている(嘉永元年「赤梅温泉記」)。「封内風土記」によれば湯温は高く疝気・寸白虫(婦人病)に効能がある。「大口村安永風土記」では湯守として六之丞・利惣太二名の名があげられるが、当時山崩れで湧出もなく、湯坪なども大破していた。前掲温泉記によれば、その後再び湧出、温泉も復興したが、天明飢饉で湯守両名が没落、代わって湯守となった三名がそれぞれ阿部屋・高橋屋・遊佐屋の湯宿を設け、赤湯神社を祀った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「赤湯温泉」の意味・わかりやすい解説

赤湯温泉(山形県)
あかゆおんせん

山形県南部、南陽市(なんようし)にある温泉。赤湯地区の市街地にあり、温泉名は、赤い土中から湧出(ゆうしゅつ)したことに由来するという。江戸時代には上杉家の御殿湯があった。四季を通じてにぎわい、揚湯効率の向上のため廃井に注水している。塩化物泉。JR奥羽本線(山形新幹線)赤湯駅下車。

[中川 重]


赤湯温泉(新潟県)
あかゆおんせん

新潟県南魚沼(みなみうおぬま)郡湯沢町(ゆざわまち)の清津(きよつ)川上流にある山の湯。上越新幹線越後(えちご)湯沢駅から国道17号を通るバスで元橋(もとはし)下車、徒歩3~4時間。明治中期狩人(かりゅうど)によって発見されたものが、胃腸病に特効があることから、夏場の湯治場となり、現在は苗場(なえば)山登山の基地として登山客でにぎわう。河畔に露天風呂(ぶろ)がある。泉質は含鉄泉。下流に貝掛温泉(かいかけおんせん)(泉質は塩化物泉)があり、ともに三国(みくに)街道の湯治場として利用されてきた。

[山崎久雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「赤湯温泉」の意味・わかりやすい解説

赤湯温泉
あかゆおんせん

山形県南部米沢盆地の北東,南陽市にある温泉。空海の託宣により,米野与惣右衛門が発見したと伝えられる。上杉家の屋敷もおかれていた。烏帽子山麓の凝灰岩層の間から湧出。泉質は食塩泉で,無色透明。泉温 56~68℃。赤湯の名はかつて付近の土壌が溶けて赤色をしていたことに由来。リウマチ,神経痛などにきくとされている。一帯はブドウの産地。山形新幹線,JR奥羽本線が通り,観光客,湯治客が集る。

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デジタル大辞泉プラス 「赤湯温泉」の解説

赤湯温泉〔山形県〕

山形県南陽市の市街地に点在する温泉。江戸時代には、米沢藩上杉家の御殿湯だった。

赤湯温泉〔新潟県〕

新潟県南魚沼郡湯沢町、清津川上流にある温泉。苗場山登山の基地。

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