大学事典 「印刷術」の解説
印刷術
いんさつじゅつ
printing techniques
[歴史]
中国では11世紀に木版印刷が普及し,陶活字も使われ,朝鮮では銅活字が用いられるなど,印刷術は東洋において発達していた。東洋の印刷術は,14世紀末から15世紀にはヨーロッパへ伝播した。マインツの金細工師ヨハン・グーテンベルク,J.(1397-1468)は,1450~55年頃,鉛合金による活字の鋳造,油性インキの使用,ブドウ圧搾機を改良した印刷機の製造などにより,ヨーロッパにおける印刷術の開拓者となった。彼は当時ドイツで流行していたゴシック体を用いて印刷し,中世写本に迫る印刷物制作を目指していた。印刷において有用であったのが,媒体となる紙である。製紙法はおよそ1000年の時を経て,ヨーロッパに伝わっていたが,当時の紙が皮紙に比べ粗雑であったこともあり,事務的な記録用として用いられるに留まっていた。その後,次第に紙質が改良され,グーテンベルクは『四十二行聖書』を皮紙と紙の両方を用いて印刷した。1450~1500年頃にかけての印刷はインキュナブラ(揺籃期本)といわれ,現存するものが零葉(リーフ)を含めて約4万版ある。この時期は,写本と刊本(印刷本)の両方が制作されていた。
写本制作についてみると,13世紀頃から講義のためのテキストおよびその註解書や参考書が必要となり,大学周辺には写本工房が設置されていた。学生たちは,その多くが僧籍を持つ専門の写字生がいる写本工房に書写を依頼した。これらの工房は専門の業者として,大学認可のもとに,大学が定めた正本のみを書写する権利を持つ組合を結成していた。印刷術が知られると,写本の販売・取引をしていた業者は,印刷本と写本を並べて売るようになった。インキュナブラが制作されたこの時期は,写本時代と同様,聖書や時禱書などキリスト教関係の書物に加えて,ギリシア・ローマの古典やラテン語の文法書などが提供されていた。書籍業者は当初は商人というより,委託販売人の様相を呈していたが,次第に自ら出版業者となる,あるいは印刷工房の設立に出資するようになった。
16世紀に入ると,ルターらの宗教改革の影響もあり,短期間に多くのものを印刷する必要に迫られた。写本の時代には書物1冊が家1軒の価値を持っていたが,大量生産が可能となり,廉価なものとなって流通するようになった。挿図に関しては,写本時代には画家が挿絵や文字の装飾を受け持っていたが,木版画の技術も進み,同じページに印刷することが可能になる。次いで銅版画が開発され,より精巧な描写が可能となった。銅版画は,ダンテの『神曲』におけるボッティチェリの銅版画の例に見られるように,あらかじめ空けておいたスペースに印刷したものを貼っていたが,後には同時に印刷することができるようになった。
印刷術が果たした最大の貢献は,博物学や解剖学など,科学の分野での図版が豊富な書物の刊行であるといわれる。著名なものでは,1530年の最古の植物図鑑,1543年のコペルニクスの『天体の運動について』,同年のヴェサリウスの『人体の組成について』(全7巻)などが刊行されている。印刷工房は,主要な大学都市にとどまらずバーゼル,ヴェネツィア,ニュルンベルクといった大商業都市にもつくられ,刊本は全ヨーロッパに流通した。形態も変化し,15世紀末には学生向けに廉価なポケット版が考案され,発売された。書物の小型化のためにイタリック文字を考案したのは,ヴェネツィアの印刷業者アルドゥス・マヌティウス,A.(アルド・マヌ-ツィオ)である。彼はラテン語・ギリシア語の教師であったが,印刷業者となり,古典を原語で刊行した。
17世紀半ばから末にかけて,フランス,イギリス,ドイツおよびオランダなどで,書評の場,学者のコミュニケーションの場としての役割を果たす雑誌が登場する。専門的な雑誌の出版である。印刷術の出現は,著作権確立への道筋もつけた。書物が著作者名を冠して出版されるようになったため,写本の時代には不可能であった著作権を主張することが可能になったのである。19世紀に入ると輪転機の開発など,印刷機械も大幅に改善され,出版界は20世紀半ばには全盛期を迎えた。
[大学教育との関わり]
廉価なテキスト作成による学問の普及など,印刷術が後世に遺した影響は大であった。他方,印刷術は学問のあり方,教育のあり方を変化させたといわれる。印刷術の発明が単独で突如もたらした変化というよりも,それまでに蓄積されてきた改善の諸要素を統合し,拍車をかけることとなったのである。古代から中世にかけて「読む」ということは音読ないしは誦詠を意味していた。マクル-ハンらが指摘するように,読書は「聴覚的読書」であったが,これに対して「視覚的読書」が始まったのである。写本の時代には,学生はテキストを書き写すことにより内容を吟味し,論理の構成法や表現方法などを修得した。講義においても学生の手元にテキストがない時代には,教師は学生が筆記できるようにゆっくりとした速度で講義をしており,学生たちは考えながら講義を書き取っていった。図書が増えたために「口述による講義ノートの書き取り」をやめることが可能になった。印刷術は,読書を「聴覚的読書」から「視覚的読書」に替えた。人間の文化的な生活に変化をもたらしたと同時に,人が「考える」という行為のあり方を変え,人間の思考法にも変化をもたらしたといわれる。印刷術の発明は,その萌芽となったのである。
著者: 阪田蓉子
参考文献: リュシアン・フェーヴル,アンリ・ジャン・マルタン著,関根素子,長谷川輝夫,宮下志朗,月村辰雄訳『書物の出現』上・下,筑摩書房,1985.
参考文献: マーシャル・マクルーハン著,森常治訳『グーテンベルクの銀河系―活字人間の形成』みすず書房,1986.
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報