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原勝郎 はらかつろう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

原勝郎
はらかつろう

[生]明治4(1871).2. 盛岡
[没]1924.1.14. 京都
歴史家。第一高等中学校 (のちの第一高等学校) を経て東京大学文科大学史学科で L.リース坪井九馬三重野安繹らに西洋史,日本史を学び,1899年より第一高等学校教授となる。 1904年脱稿の『日本中世史』は比較史的視点に立ち,友人内田銀蔵の『日本近世史』と並び称せられる社会文化史的名著として知られる。

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デジタル大辞泉の解説

はら‐かつろう〔‐かつラウ〕【原勝郎】

[1871~1924]歴史学者。岩手の生まれ。東大卒。京大教授。日本中世史研究の開拓者で、鎌倉時代から戦国時代を中世として区分したことで知られる。西洋近現代史研究にも力を注いだ。著作に「日本中世史」「東山時代に於ける一縉紳(しんしん)の生活」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

原勝郎 はら-かつろう

1871-1924 明治-大正時代の歴史学者。
明治4年2月26日生まれ。一高教授となり,イギリスアメリカ留学後,明治42年京都帝大教授。日本史の時代区分にはじめて中世の呼称をもちいた。また西洋近現代史の研究に力をそそいだ。大正13年1月14日死去。54歳。陸中盛岡出身。帝国大学卒。著作に「日本中世史」「世界大戦史」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

原勝郎

没年:大正13.1.14(1924)
生年:明治4.2.26(1871.4.15)
明治大正期の歴史家。南部藩(岩手県)藩士原勝多の長男。岩手県盛岡市大沢に出生。盛岡中学,一高を卒業し,東京帝国大学文科大学史学科に入学。リース重野安繹に師事した。明治29(1896)年卒業し大学院に進学。黒板勝美,内田銀蔵,喜田貞吉ら錚々たる歴史家が同期生に名を連ね,なかんずく内田とはのち共に京大の教官となった。この年召集を受けて近衛歩兵第4連隊に入り,同32年少尉に任官して除隊となる。この年一高の教授に就任し,3年後「鎌倉時代における文化の発達」「鎌倉時代新興諸宗寺院分布表」によって文学博士の学位を授与される。しかし2年後,日露の開戦によって再び出征し,明治38年ようやく除隊となって研究生活に復帰した。翌39年2月,前述の学位論文を修正して『日本中世史』と題して出版した。武家時代,封建時代と称されていた鎌倉・室町期を初めて「中世」と名付け,普及させたのは原の功績である。以後西洋近代史研究に転じ,39年11月より欧米に留学,帰国直後の42年3月より狩野亨吉に招かれ,内藤湖南らと共に創立直後の京都帝大文科大学の教授に就任,大正11(1922)年には文学部長となった。代表作の『東山時代に於ける一縉紳の生活』は大正6年より京大文学部機関紙『芸文』に連載されたもので,三条西実隆生活文化を中心に応仁の乱後の世相を活写した。癌のため神戸で死去。従三位勲2等に叙せられた。

(今谷明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

はらかつろう【原勝郎】

1871‐1924(明治4‐大正13)
歴史学者。岩手県生れ。1896年東京帝国大学卒業後大学院に進み,99年一高教授に就任。鎌倉~戦国時代をはじめて〈日本中世〉と区分し,文化の地方拡伸を通じて武士階級を新文明の担い手と意義づけるなど,同期の研究を開拓した。日露戦争に陸軍中尉として従軍。1906年《日本中世史》を刊行。同年より欧米留学し,帰国後の09年京都帝大教授に就任(死去まで在職)。日露戦争後は西洋現代史の研究が中心をなし,この方面の著作が多い。

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大辞林 第三版の解説

はらかつろう【原勝郎】

1871~1924) 歴史学者。岩手県生まれ。京大教授。鎌倉時代から戦国時代の期間を日本中世として区分し、積極的に評価した。著「日本中世史」「東山時代に於ける一縉紳しんしんの生活」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

原勝郎
はらかつろう
(1871―1924)

歴史家。明治4年旧南部(なんぶ)藩士原勝多の長男として盛岡に生まれる。盛岡中学校、第一高等学校を経て帝国大学文科大学に進み、1896年(明治29)史学科を卒業。99年第一高等学校教授となる。1906年から09年まで英・米・仏に留学し、欧米最近世史を研究。帰国後、京都帝国大学文学部教授に就任、史学科で西洋史を担当した。22年(大正11)文学部長に就任、大正13年1月14日に没した。主著『日本中世史』(1906・冨山房)は、平安から鎌倉初期を扱う第一巻のみであるが、中世を日本独自の文化が全国的に展開した時代として評価位置づけたもので、その続編といえる『東山(ひがしやま)時代における一縉紳(しんしん)の生活』(1917)とともに、西洋史の知識を踏まえ比較史的視点から日本史をとらえた最初の研究である。また留学以後の主テーマである現代史では『欧米最近世史十講』(1915・弘道館)、『世界大戦史』(1924・同文館)などの業績がある。[権平慶子]
『永原慶二・鹿野政直編著『日本の歴史家』(1976・日本評論社)』

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