日本大百科全書(ニッポニカ) 「原口典之」の意味・わかりやすい解説
原口典之
はらぐちのりゆき
(1946―2020)
彫刻・立体作家、インスタレーション作家。神奈川県横須賀市生まれ。1970年(昭和45)日本大学芸術学部美術学科卒業。最初の個展は、大学在学中の1968年、村松画廊(東京・銀座)で開催、以後、ほぼ毎年作品を発表。1970年に開かれた日本国際美術展「人間と物質」展(東京都美術館)に参加したアメリカの美術家リチャード・セラの制作・設置に協力した原口は、セラの影響を受けながら独自の道を歩んだ。
1960年代末から1970年代初頭における李禹煥(リウファン)、原口、関根伸夫、菅木志雄(すがきしお)らによる表現は「もの派」とよばれた。ほかの「もの派」の作家たちは、木や土などの一次素材、ならびに紙や鉄、ガラスなどの二次素材(工業製品)を利用し、材質の物質感と物のもつ存在感を引き出すために、それらを対比的に組み合わせたり、手を加えるのを最小限にすることで表現を極力抑え、あるがままに提示することを優先した。それに対し原口は、素材のもつ存在感を十全のものとみなさずに、場の生成に能動的な介入を行った。
原口の出身地横須賀軍港の1960年代中期・後期の日常風景を連想させる、船や軍用飛行機の一部を切り取った立体作品は、「もの派」作家の初期の作品とは違った、暴力的な物質観=疎外感を表明していた。
1970年代に入っての、H鋼を立ちあげたり、画廊の床にワイヤーロープを這わせた作品は、物質のもつ秩序性にあらがい、場としての空間の変容を強調するものだった。そのような傾向は、原口の一貫したモチーフであるが、1970年代なかばから制作する、鉄板で囲ったプールに油を一面にたたえるインスタレーションは、油面の鏡面反射と油の深い黒味が作用して、静謐(せいひつ)さと荒々しさを共存させ、独特のオリジナリティをもつ。
また銅板と木材、L字鋼、H鋼と鉄板のメッシュを組んで立ちあげる1980年代の仕事もまた、その量感とともに、突き出た鋼材の狂暴性を強調するものである。鉄材やポリエステル材などの工業製品はなじみのある部材だが、ほとんどはあらかじめ工場で生産され組み立てられ、建築や生産の現場で一瞬のうちに完成する。原口は、そういった現代生活の視覚世界に隠された物の実在をあぶりだす作家といえる。国際美術展への参加は、シドニー・ビエンナーレ(1976)、ドクメンタ6(1977、ドイツ・カッセル)、パリ青年ビエンナーレ(1977)、光州ビエンナーレ(1997、2000)など。
[高島直之]