売薬名。同名の売薬は各地にみられたが,越中富山売薬の主力商品として知名度が高かった。それは越中売薬の行商が配置販売方式を採用し,現物を先渡しして翌年使用済みの分だけの代金を受け取り,残品は新品と交換し,さらに補充配置するという行商方式で全国に行商圏を広げていたからである。反魂丹は死者の魂をよび返すとされた反魂香にあやかって,瀕死(ひんし)の病者を回復させる効能があるとして,中国でつけられた薬名である。しかし,日本の反魂丹は中国のそれとは違って,《儒門事親(じゆもんじしん)》に見える妙功十一丸に近い内容の丸薬である。曲直瀬玄朔(まなせげんさく)が命名したという延寿反魂丹が正名で,麝香丸(じやこうがん)の別名もある。足利将軍家や戦国武将の畠山氏も使ったといわれるから,16世紀ごろからの薬方である。越中富山の反魂丹の由来には諸説があるが,17世紀末に備前岡山藩の万代常閑(まんだいじようかん)(第11代)が伝えた薬方だとする点では一致している。万代家には先代の第10代常閑が反魂丹をつくり,これを参勤交代で往還する諸大名が買い求めたという記録がある。反魂丹は黄連(おうれん),大黄(だいおう),黄芩(おうごん),熊胆(ゆうたん)(くまのい)など二十数種もの薬を配合しており,その中の黄連と熊胆は越中の特産として知られていた。万代家側に越中特産の良質なこの2品の原料を確保したいとする必要性があったとみれば,原料面からの商行為が先にあって,そのパイプを閉ざさないように,富山側の要望にこたえる形で,万代家から反魂丹の薬方を伝えたとする見方ができる。なお配置販売方式も,それに先行する〈大庄屋廻し〉という販売方式が備前側で古くから採用されていた中世的商業形態とされ,それを越中側が利用したかについては断定できないにしても,反魂丹の薬方伝授とともに販売方式についても,備前と越中の関係を考える要素に加えてよいだろう。
執筆者:宗田 一
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…歴代藩主は正甫,利興,利隆,利幸,利与,利久,利謙,利幹,利保,利友,利声,利同と続き,廃藩置県にいたる。正甫のとき始まった富山売薬は,〈反魂丹(はんごんたん)〉をはじめ草根木皮を原料とする和漢薬で,行商人が全国の得意先を回って薬をおく配置制度で成果をあげ,藩財政にも寄与した。【坂井 誠一】。…
…昭和期までに17代を数える。松井家の元祖玄長は,越中礪(砺)波(となみ)の出身で,霊薬反魂丹(はんごんたん)を創製し,2代目道三のときに富山袋町に移住して,武田信玄から売薬御免の朱印を受けた。延宝・天和(1673‐84)のころに,4代目玄水が江戸へ出て反魂丹を売りはじめたが,その宣伝,販売のために,箱枕をいろいろと扱う曲芸〈枕返し〉や居合抜きなどを演じた。…
※「反魂丹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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