出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
落語家。
[関山和夫]
(1809―56)俗称清吉。初代三遊亭円生(えんしょう)門に入って円太。一時、江戸を離れたが、帰ってから古今亭新生と名のり、真生、志ん生と改名。『お富与三郎』『小猿(こざる)七之助』『九州吹戻(ふきもど)し』など人情咄(ばなし)を口演。
[関山和夫]
(1877―1926)本名鶴本(つるもと)勝太郎。2代目今輔門で今の助。3代志ん生門となり、昔家今松、雷門小助六、古今亭志ん馬、金原亭馬生(きんげんていばしょう)を経て4代目を継ぐ。『三軒長屋』『あくび指南』など江戸前の話芸でファンを喜ばせた。
[関山和夫]
(1890―1973)本名美濃部(みのべ)孝蔵。2代目三遊亭小円朝に入門して朝太。円菊、馬太郎、武生、馬きん、志ん馬と改名し、講釈師で小金井蘆風(ろふう)、落語に戻ってまた幾度も改名し、7代馬生を経て1939年(昭和14)志ん生を襲名。『火焔(かえん)太鼓』『お直(なお)し』『三枚起請(きしょう)』『唐茄子屋(とうなすや)政談』など演目も豊富で、独自の天衣無縫ともいうべき芸風により、8代目桂文楽とは対照的な昭和落語の一方の雄であった。残された録音も多く、青壮年時代の貧乏暮らしと酒を愛した生涯は『なめくじ艦隊』『びんぼう自慢』などの自伝に詳しい。長男が10代目金原亭馬生(1928―82)、次男が古今亭志ん朝(しんちょう)(1938―2001)。
[関山和夫]
『『五代目古今亭志ん生全集』全8巻(1977~84・弘文出版)』▽『『これが志ん生だ!』全11巻(1994~95・三一書房)』
落語家。現在まで5代をかぞえる。(1)初代(1809-56・文化6-安政3) 通称清吉。初代三遊亭円生門下。同門の円蔵が2代目を襲名したので放浪生活ののち別派を立て,《九州吹き戻し》《お富与三郎》など人情噺(ばなし)の名人となる。(2)2代(1834-89・天保5-明治22) 本名福原常吉。初代門下。大兵肥満で〈お角力(すもう)〉と異名をとり,人情噺,滑稽噺とも巧妙だった。(3)3代(1862-1918・文久2-大正7) 本名和田岩松。〈しゃも〉とあだ名され,愛嬌ある高座で人気があった。(4)4代(1877-1926・明治10-昭和1) 本名鶴本勝太郎。渋い江戸前の芸の持主で,初代小せん,3代馬楽とともに明治末から大正にかけて東京落語界の名物男として,吉井勇や久保田万太郎の作品のモデルになった。(5)5代(1890-1973・明治23-昭和48) 本名美濃部孝蔵。昭和の落語を代表する一人。橘家円喬,初代小円朝,4代目志ん生に師事。講談界に転じた時機もある。16回の改名が物語るように,そこには芸と生活の苦難の跡があった。生活の匂いを基調とした円転滑脱の妙味ある芸を持ち,《火焰(かえん)太鼓》《お直し》などの芸は絶品だった。
執筆者:興津 要
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…落語。初代古今亭志ん生作の人情噺《お初徳兵衛浮名桟橋(うきなのさんばし)》の発端部分の落語化。若旦那徳さんが,道楽の末に勘当され,船宿で居候(いそうろう)をするうちに船頭になる。…
…一方,可楽よりもやや先輩として活躍したのは,〈身振り声色(こわいろ)芝居掛り鳴り物入り〉元祖と称した初代三遊亭円生だった。円生門下からは,〈続き物〉の祖初代金原亭馬生(きんげんていばしよう)(?‐1838),人情噺の名手初代古今亭(ここんてい)志ん生,おなじく人情噺をよくした2代円生などが輩出した。 上方落語界は,彦八の名跡が4代で絶えて以後は低調だったが,前記のように会咄,座敷咄が流行し,1792年(寛政4),京都から浮世咄の松田弥助が下るにおよんで復興の機運を迎え,初代桂文治(1773‐1815)が寄席興行を開催し,芝居がかりの落語を口演したころから隆盛に向かった。…
※「古今亭志ん生」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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