中古品や質流れ品の衣類を売買する商人。上方では古道具屋とともに古手(ふるて)屋と呼んだ。江戸では慶安年間(1648-52)に13人が古着問屋を開業して組合をつくっている。古着を買い集める専業者は古着買いといい,くず屋もその一翼をになっていた。繊維製品がきわめて貴重な時代であったため古着は重要な商品であり,三都それぞれに古着屋が軒を並べる地域が成立した。京都では二条烏丸,五条室町,大坂では本町,あるいは佐野屋橋筋の博労町から道頓堀までの間に多くの店があった。江戸では元禄(1688-1704)までに日本橋富沢町や,のちの日影(ひかげ)町の古着屋街が発生している。富沢町では雨が降らないかぎり,道路にむしろを敷いて各店が商品を並べ,一般人や同業者に売ったので古着市の称があり,《江戸繁昌記》(1832)は魚河岸につぐほどの繁盛ぶりだとしている。同書はまた,古着の中でもとくに古く悪いものは柳原で売られるとする。柳原は神田川の南岸,いまの万世橋辺から浅草橋まで約10町の土手で,古着屋,古道具屋の床店が軒をつらね,夕方それらの店がしまると入れかわりに夜鷹(よたか)が跳梁(ちようりよう)することでも知られていた。日影町は芝口(しばぐち)(現,港区新橋4丁目)から芝神明(しばしんめい)(現,芝大神宮)前にいたる間の新道で,2間の道幅の半ばをどぶ板がしめていた。古着屋のほかに髪油,書物,錦絵,あるいは安物の刀剣の店などがあり,参勤交代の出府から帰国する武士たちがみやげ物を調える町でもあった。明治以後も柳原と日影町は古着屋の町として知られていたが,今はまったく面影をとどめない。江戸時代にも古着屋や古道具屋はしばしば贓物(ぞうぶつ)の故買(こばい)を行ったようで,江戸の町奉行所はたびたび〈失物御吟味(うせものごぎんみ)〉についての町触(まちぶれ)を出している。
執筆者:西村 潔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…ドビュローのパントマイムも,初期は他愛ないドタバタであったが,28年,C.ノディエが彼のために書いた《黄金の夢Le songe d’or》の成功によって,一躍T.ゴーティエ,J.G.ジャナンなど,知識人たちの注目を集めるようになり,ピエロは文学者など知識人の愛好の対象となった。映画《天井桟敷の人々》の中ではJ.L.バローが演じたドビュローの代表作《古着屋》(1842)は,舞台で涙を流す新しいピエロ像を生み,〈悲しきピエロ〉のイメージを定着させた。そしてこのイメージはT.deバンビルやJ.ラフォルグなどの詩《月光のピエロ》を通じて,〈涙を流すピエロ〉という新しい神話を生み出していった。…
…衣服だけでなく調度,布団,装身具なども貸し出した。後には古着屋の副業ともなった。貧しい下層町人は古着に依存し,祭りには貸浴衣を利用した。…
…盗品触書への対応策や人品に不相応の貴重品持参への心得から,置主・請人名前,住所寄留先・判形の確認,そして質営業の名前貸しや出店進出,取次人の強引な質物勧誘,現実の入質をしない置質,無断営業などの禁止に至るまで,細かな規定が示された。城下町では町奉行支配下で古着屋・古鉄屋・古道具屋などとともに〈八品商〉としてまとめられ,組合惣代と町名主の規制を受けた。近世後期から明治期には中古衣類の需要は非常に大きく,質屋と古着屋・呉服屋は三都を頂点に全国の消費を連結して網羅した。…
※「古着屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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