中国、戦国時代の政治家、遊説の士。河南省洛陽(らくよう)の出身。斉(せい)の鬼谷子(きこくし)に師事。初め秦(しん)の恵王に説いたが用いられず、のち燕(えん)の文侯、趙(ちょう)の粛(しゅく)侯、韓(かん)の宣恵(せんけい)王、魏(ぎ)の襄(じょう)王、斉の宣王、楚(そ)の威王にそれぞれ説いて、この六国の連合を成功させた(合従(がっしょう))。六国が縦に並んで結束し、西方の秦に対抗しようとするもので、蘇秦自らが縦約の長となり、六国の相(しょう)を兼ね、縦約の書を秦に送ったため、秦は十数年間東方進出ができなかったといわれる。まもなく張儀(ちょうぎ)のために合従は破られ、のち斉に逃れたが、そこで刺客に殺された。張儀とともに、諸氏百家の一つ縦横(じゅうおう)家に入れられている。しかし、その合従策を記した『史記』巻69蘇秦伝や『戦国策』の記事の事実を疑う学者も多く、合従策の故事は多分に伝説的要素がある。
[太田幸男]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
?~前317
戦国時代の思想家。縦横家(じゅうおうか)の一人。河南省洛陽の人。燕に仕え,合従(がっしょう)策を唱え,東方6国の同盟を主宰して秦に対抗させたが,張儀(ちょうぎ)の連衡(れんこう)策が成立し,斉で刺殺された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…前4世紀後半いらい西方の秦が強大になってくると,東の燕・斉・趙・韓・魏・楚の6国が縦に同盟して秦に対抗する合従策と,秦が6国のそれぞれと単独で同盟を結ぶ連衡策とが重要な外交政策となった。このような策を諸侯に遊説するものを縦横家(じゆうおうか∥しようおうか)とよび,合従策は蘇秦,連衡策は張儀の名が有名である。縦横家には他に蘇秦の弟の蘇代,陳軫(ちんしん),犀首らがあり,くだって漢代の蒯通(かいつう),徐楽,主父偃(しゆほえん)らもその亜流とみなされている。…
…前者を合従策,後者を連衡(連横)策という。蘇秦は合従策を主張し,前333年に趙を中心とする6国の同盟に成功したが,秦は各国の利害の対立を利用して,同盟を瓦解させ,張儀を派遣して連衡を説かせ,外交面でも6国をかく乱する方策をとった。しかも前4世紀末には現在の四川地方から甘粛東部を領有し,豊富な物資と後背地を確保して,東進を強めた。…
※「蘇秦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新