蘇秦(読み)ソシン

デジタル大辞泉 「蘇秦」の意味・読み・例文・類語

そ‐しん【蘇秦】

中国戦国時代縦横家洛陽らくよう河南省)の人。あざな季子鬼谷子に学び、遊説家として活躍対抗してえんちょう合従がっしょう策を説いて同盟させる。張儀連衡策に敗れたのち、斉で殺された。生没年未詳。

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精選版 日本国語大辞典 「蘇秦」の意味・読み・例文・類語

そ‐しん【蘇秦】

  1. 中国、戦国時代の縦横家。字(あざな)は季子。河南洛陽の人。秦に対抗して山東六国である燕・趙・韓・魏・斉・楚の合従(がっしょう)を説いて、成功。のち、連衡家の張儀に合従の約をくずされ、斉に仕えたが、暗殺された。前三一七年没。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「蘇秦」の意味・わかりやすい解説

蘇秦
そしん
(?―前317)

中国、戦国時代の政治家、遊説の士。河南省洛陽(らくよう)の出身。斉(せい)の鬼谷子(きこくし)に師事。初め秦(しん)の恵王に説いたが用いられず、のち燕(えん)の文侯、趙(ちょう)の粛(しゅく)侯、韓(かん)の宣恵(せんけい)王、魏(ぎ)の襄(じょう)王、斉の宣王、楚(そ)の威王にそれぞれ説いて、この六国の連合を成功させた(合従(がっしょう))。六国が縦に並んで結束し、西方の秦に対抗しようとするもので、蘇秦自らが縦約の長となり、六国の相(しょう)を兼ね、縦約の書を秦に送ったため、秦は十数年間東方進出ができなかったといわれる。まもなく張儀(ちょうぎ)のために合従は破られ、のち斉に逃れたが、そこで刺客に殺された。張儀とともに、諸氏百家の一つ縦横(じゅうおう)家に入れられている。しかし、その合従策を記した『史記』巻69蘇秦伝や『戦国策』の記事の事実を疑う学者も多く、合従策の故事は多分に伝説的要素がある。

[太田幸男]

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改訂新版 世界大百科事典 「蘇秦」の意味・わかりやすい解説

蘇秦 (そしん)
Sū Qín

中国,戦国の策士。生没年不詳。字は季子。東周の雒陽(らくよう)に生まれ,張儀とともに斉の鬼谷先生に雄弁の術を学んだ縦横家(じゆうおうか)の一人。はじめ秦に遊説するが用いられず,のち燕の文侯に任用され,東方六国に説いて合従同盟を締結,秦に対抗した。功により趙の武安(河北省武安県)に封ぜられたが,やがて讒言ざんげん)を受けて亡命。斉で暗殺されたという。この《史記》の伝える彼の事跡については従来より信憑性が問題になっていたが,近年,馬王堆漢墓から出土した帛書に蘇秦に関する資料が発見されて,《史記》の錯誤がより明確となった。
合従連衡
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百科事典マイペディア 「蘇秦」の意味・わかりやすい解説

蘇秦【そしん】

中国,戦国末期の策士。生没年不詳。縦横家の一人で,張儀と併称される。に対抗して六国が同盟する合従(がっしょう)(合従連衡)を提唱,六国の相(大臣)を兼ねたと伝えられる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「蘇秦」の意味・わかりやすい解説

蘇秦
そしん
Su Qin; Su Ch`in

中国,戦国時代の政治家,縦横家。前5~4世紀頃活躍。洛陽の人。の恵王に仕えようとして失敗,に行き合従 (がっしょう) を説き (→合従連衡 ) ,趙,韓,魏,斉,楚の6国同盟を成功させ秦に対抗したが,張儀の連衡策に敗れた。彼の活躍年代について異説があり,一説では架空の人ともいわれる。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「蘇秦」の解説

蘇秦(そしん)
Su Qin

?~前317

戦国時代の思想家。縦横家(じゅうおうか)の一人。河南省洛陽の人。に仕え,合従(がっしょう)策を唱え,東方6国の同盟を主宰してに対抗させたが,張儀(ちょうぎ)の連衡(れんこう)策が成立し,で刺殺された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「蘇秦」の解説

蘇 秦
そしん

?〜前317
戦国時代の縦横家 (じゆうおうか)
洛陽の人。秦の恵文王に仕えようとして失敗。燕 (えん) の文侯に用いられ,ついで趙 (ちよう) ・韓・魏・斉 (せい) ・楚の諸国に合従 (がつしよう) 策をもって秦に対抗することを説き,六国 (りつこく) の相として15年間秦に対抗。のち張儀の連衡 (れんこう) 策の成立によって失敗し,斉で刺殺された。

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世界大百科事典(旧版)内の蘇秦の言及

【合従連衡】より

…前4世紀後半いらい西方の秦が強大になってくると,東の燕・斉・趙・韓・魏・楚の6国が縦に同盟して秦に対抗する合従策と,秦が6国のそれぞれと単独で同盟を結ぶ連衡策とが重要な外交政策となった。このような策を諸侯に遊説するものを縦横家(じゆうおうか∥しようおうか)とよび,合従策は蘇秦,連衡策は張儀の名が有名である。縦横家には他に蘇秦の弟の蘇代,陳軫(ちんしん),犀首らがあり,くだって漢代の蒯通(かいつう),徐楽,主父偃(しゆほえん)らもその亜流とみなされている。…

【春秋戦国時代】より

…前者を合従策,後者を連衡(連横)策という。蘇秦は合従策を主張し,前333年に趙を中心とする6国の同盟に成功したが,秦は各国の利害の対立を利用して,同盟を瓦解させ,張儀を派遣して連衡を説かせ,外交面でも6国をかく乱する方策をとった。しかも前4世紀末には現在の四川地方から甘粛東部を領有し,豊富な物資と後背地を確保して,東進を強めた。…

※「蘇秦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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