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吉植庄亮 よしうえ しょうりょう

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美術人名辞典の解説

吉植庄亮

歌人。東大卒。新聞記者衆議院議員を経た後、金子薫園に師事、『寂光』により歌壇に登場する。印旛沼開墾に従事しつつ農村歌人として知られる。昭和33年(1958)歿、74才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

吉植庄亮 よしうえ-しょうりょう

1884-1958 大正-昭和時代の歌人,政治家。
明治17年4月3日生まれ。大正10年歌集「寂光」を刊行,11年歌誌「橄欖(かんらん)」を創刊。帰郷して千葉県印旛沼(いんばぬま)周辺の開墾をすすめ,その生活をうたった歌集「開墾」を発表した。昭和11年衆議院議員(当選3回,政友会)。昭和33年12月7日死去。74歳。東京帝大卒。号は愛剣。
【格言など】小波(さざなみ)を見てゐるよりも忙(せは)しなき小禽(ことり)の頭みなみな啼き居り(「寂光」)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

吉植庄亮
よしうえしょうりょう

[生]1884.4.3. 千葉
[没]1958.12.7. 千葉
歌人。第一高等学校を経て 1916年東京大学経済科卒業。短歌は金子薫園に師事,03年薫園を中心とする白菊会の創立に参加,歌集『寂光』 (1921) の伸びやかな抒情により認められた。 22年から歌誌『橄欖 (かんらん) 』を主宰する一方,24年千葉県印旛沼のほとりの生地に帰り開墾生活に従事しつつ,同年創刊の『日光』同人として農民短歌の世界を開拓,それらは歌集『開墾』 (41) に結集されたが,その間父の地盤を継いで衆議院議員にもなり百姓議員と呼ばれた。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

吉植庄亮
よしうえしょうりょう
(1884―1958)

歌人。千葉県生まれ。東京帝国大学法学部卒業。印旛(いんば)沼畔の開墾に従い、のちには父の後を継ぎ衆議院議員となる。つとに金子薫園(くんえん)の選を受け、白菊会創設に参加。1922年(大正11)歌誌『橄欖(かんらん)』発行、主宰。歌集『寂光』(1921)、『煙霞(えんか)集』(1928)、『大陸巡遊吟』(1939)、『開墾』(1941)、『稲の花粉』(1945)など十数冊がある。土に根ざし、人間即短歌を心として、詠風は自由闊達(かったつ)である。[太田青丘]
 土間に食ふ昼餉(ひるげ)はうましわが足に触(さは)りつつあそぶ鶏(かけ)のひよこら
『『吉植庄亮全歌集』(1970・柏葉書院)』

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