吉田晴風(読み)よしだせいふう

改訂新版 世界大百科事典 「吉田晴風」の意味・わかりやすい解説

吉田晴風 (よしだせいふう)
生没年:1891-1950(明治24-昭和25)

琴古流尺八家,作曲家。〈新日本音楽〉の名づけ親として,また宮城道雄の協力者,親友として有名。熊本の酒造業の家の生れ。7歳で父寅雄と死別叔父の援助で熊本商業学校に進む。10歳ころから吹きはじめた尺八に熱中し,熊本の鳥井若菜に師事。同じく熊本の地歌の名人長谷幸輝に目をかけられ,三曲合奏の腕を磨いた。商業学校卒業後,朝鮮に渡り京城(ソウル)で大豆商を営み,かたわら竹堂の芸名で尺八でも活動。1914年同地で3歳年下の中菅(のちの宮城道雄と出会い,将来の中央進出を誓いあう。15年,銀行の疑獄事件に巻き込まれたため実業界を諦め,尺八専念を決意して,上京。東京に移住していた旧師鳥井若菜の玄関番兼代稽古(だいげいこ)となり,かたわら神田の日本音楽協会(女子音楽学校付設)でピアノを学んだが,これが古典一辺倒の鳥井の不興を買い,師と決別,独立して尺八教授を始めた。女子音楽学校校長山田源一郎などの支援で教授活動が広がって生計が立つようになった彼は,早速,宮城道雄を促して17年東京に迎えた。以来,作曲,演奏両面での2人の協力は生涯続く。20年,宮城と本居長世との合同作品発表会(吉田共演)の際,〈新日本音楽大演奏会〉と銘打つことを吉田が提案し,以後〈新日本音楽〉が吉田,宮城らの新作活動の通称となった。21年から晴風と改名。23年関東大震災へのアメリカからの救済に対する答礼音楽使節として渡米。37年には親善芸術使節としてタイ訪問。同国文化勲章受章。代表作に《かもめ》《祈り》(ともに1925),《子守歌》(1926),著書に《晴風随筆》がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉田晴風」の意味・わかりやすい解説

吉田晴風
よしだせいふう
(1891―1950)

尺八演奏家、作曲家。本名康次(やすじ)。熊本県生まれ。12歳より尺八を吹き始め、琴古流の鳥井若菜に師事、地歌三絃(じうたさんげん)の名人長谷幸輝(ながたにこうき)の薫陶を受けた。熊本商業学校卒業後、大豆王を夢みて朝鮮の京城(現ソウル)に渡り、箏曲(そうきょく)家宮城道雄(当時中菅検校(なかすがけんぎょう))と出会う。以後両者の協力は、東京での新日本音楽運動を通して生涯続いた。1923年(大正12)遣米答礼音楽使節として渡米、さらに37年(昭和12)のタイ国への訪問に際しては同国文化勲章を受けた。新日本音楽の命名者でもあり、洋楽の手法を導入した新様式の作品、『祈り』(1925)、『海』(1932)などがある。

[月溪恒子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉田晴風」の意味・わかりやすい解説

吉田晴風
よしだせいふう

[生]1891.5.18. 熊本
[没]1950.6.30. 東京
琴古流尺八家。本名康次。初号竹堂。熊本の鳥井若菜の門人。朝鮮在住期に京城 (現ソウル) で宮城道雄と知合った。 1915年尺八家として立つべく上京。 17年宮城を東京に迎え,ともに新日本音楽運動を起した。以後生涯,宮城に協力しつつ,尺八の演奏,教授に活躍。 24,31年にはアメリカに,37年にはタイに演奏旅行。作曲に『かもめ』『祈り』など,著書に『晴風随筆』などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田晴風」の解説

吉田晴風 よしだ-せいふう

1891-1950 大正-昭和時代の尺八奏者,作曲家。
明治24年8月5日生まれ。琴古流(きんこりゅう)尺八の鳥井若菜に師事,のち洋楽もまなぶ。朝鮮で箏曲(そうきょく)の宮城道雄とであい,「新日本音楽」と名づけた運動をとおして作曲,演奏両面で協力する。作品に「祈り」など。昭和25年6月30日死去。58歳。熊本県出身。熊本商業卒。本名は康次。著作に「晴風随筆」。

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世界大百科事典(旧版)内の吉田晴風の言及

【宮城道雄】より

…その間も神戸の旧師や熊本の三味線の名手長谷検校に師事して研修を続けた。京城で生涯の協力者となった琴古流尺八家吉田晴風と出会う。両人は東京進出を図り,17年相前後して上京。…

※「吉田晴風」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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