名を付けることにより親子関係の生じた仮親のこと。
日本では名親(なおや)ともいう。古来両親以外の特定者に依頼して名をつけてもらい,その庇護をたのむ慣習があった。命名の時期としては幼名の場合と,成人名の場合とがあった。幼名の名付親には2通りあり,第1は拾い親,養い親の慣習によるもので,虚弱な子も丈夫に育つよう,また前に幼児を死なせた後に生まれた子や親の厄年に生まれた子などの無事成長を願い,しかるべき人に依頼してある場合には形式的にいったん捨てた子を拾って名を付けてもらったりした。《武家名目抄》によれば,室町時代,足利将軍家の子息誕生の際には,嘉例により家宰伊勢氏が名を付け,公方の仮の御父,名付の父母として勢威を誇ったとある。第2は一般的に幼児の将来を託するに足る人を頼んで命名してもらうもので,幼児に命名者の社会的生命力を分与してもらうという意味もあった。近親者,一族の長老,主筋の人などに依頼する例が多い。
成人名の場合は元服親,烏帽子親とほぼ同義で,名替親ともいった。この呼称は元服後彼らによって幼名に替えて成人名を与えられたことによるものであろう。鎌倉時代,武家社会において烏帽子親子は実の父子に準ずべき関係として取り扱われた。《吾妻鏡》によれば1189年(文治5)北条時政三男元服の加冠役は三浦義連がつとめ,時連と命名した。この場合源頼朝が,時連の将来に至るまでの援護者として特にその役を三浦氏に命じたとある。また1213年(建保1)北条義時の愛子が将軍御所にて元服し,三浦義村が加冠の役となり,政村と命名したとある。また50年(建長2)佐々木泰綱の9歳になる子息の加冠役は執権北条時頼がつとめ頼綱と命名している。このように名付親の制は有力氏族の他氏抱込み策といった政治的意味でとらえることもできる。しかし室町時代以後はしだいに形式化して,烏帽子親は名の1字を子に授与するにとどまり,主従間の名字拝領の儀礼的関係と変わっていく。なお農家や商家でも名付親の慣行は広範にかつ長期にわたり実施されている。
執筆者:五味 克夫
初期キリスト教時代には洗礼と霊名nomen spiritualeをつけることは別のことであったが,3世紀ごろから霊名をつけることが洗礼の重要な行事となった。原罪が教義として普及すると幼児洗礼を出生後すみやかに行うようになり,母親のかわりに代母が立ち会い,父のかわりに代父が洗礼盤の上で幼児を支える役をするようになった。名まえも代父,代母の洗礼名を新生児の名として与えるようになり,代父,代母が〈名付親〉となった。代父,代母は洗礼を受ける幼児にかわって司祭に受け答えして洗礼式をしたのである。15世紀末までは洗礼のときに幼児に与えられた名まえがその子の名となったが,このころから家族名が行われるようになり洗礼名はその前におかれる個人名forename,Christian nameとなっていった。それとともに,名まえは聖人名から選ばれるから,多くの聖人の加護を得られるように複数の洗礼名を与える風習が西ヨーロッパに広まり,特にスペイン,ポルトガルでは多くの名を与えた。《アカデミー辞典》初版(1694)では代父parrainの項は〈洗礼盤の上に子どもを支える人〉と定義し,例文として〈代父は普通,自分の名を名付子に与える〉〈代父は名付子の教育に意を用いねばならぬ〉の2文があがっている。代母の項もこれに準じている。洗礼に際し代父,代母となった者は名付子に対しても,その子の実の両親に対しても,また,代父,代母相互間でも精神的親族とみなされるので,この間の結婚は近親相姦として禁じられていた。名付親が名付子の親に準じて誕生日を祝ったり相談に乗ったりする風習は現在でもカトリック教国には存続している。
執筆者:松原 秀一
名付親ということばを〈日漢辞典〉の類で引いて見ると,〈給孩子起名的人〉などと書いてある。〈子どもに名をつけてやる人〉というのである。名付親という日本語を中国語で説明しているだけであって,〈名付親〉にだいたい相当する中国語を置き換えているのではない。念のために〈英漢辞典〉でgodparentとかgodfatherとかいう語を見ても事情はまったく同じである。つまり中国の現代語に〈名付親〉にぴったり当たることばはないのである。古代でも事情はおそらく同じで,《礼記》などの規定でも,子が生まれて3月たったとき〈父名づく〉とある。事実としてはその父以外のものが名付親的な行為をする場合もありえたに違いないが,固定した習俗としてそれはなかったのである。強いていえば男子の場合20歳で成年に達して冠をつける儀式のとき,〈父の僚友〉を〈賓〉として招き,冠を着け終わったときその〈賓〉が〈これに字(あざな)す〉,〈字〉つまり成年以後の人間が,父,君主,師以外の人間から呼びかけられるための別名でもって呼びかける,という式次第が《儀礼》士冠礼に見える。字を,信頼する先輩などにつけてもらうことがあるのと,この儀式は結びつくものであろうが,一種の〈名付親〉ということはできるかもしれない。
→人名
執筆者:尾崎 雄二郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…親子成りによって設定されるのは法的な親子関係とは異なるから,養子縁組による養親子関係とは社会的意義が全く異なる。 親子成りが行われる契機には二つあり,第1は出産,命名,成人,結婚など通過儀礼の諸段階に行われるものであり,こうしてとった親に取上親,名付親,元服親,仲人親などがある。第2は拾い親,草鞋親のように通過儀礼の段階にはとくに関係なく,子どもが病気がちでよく育たないとか,新しく村に転入してきた場合に行われるものである。…
…ムラ人が親分を得てその子分となる機会は,人生の通過儀礼の節目ごとに見いだされえた。出生時に頼む〈取上親〉〈名付親〉,また病弱な子を儀礼上いったん捨て子する形をとり,あらかじめ頼んでおいた人に〈拾い親〉になってもらうことによって健康な子になると考える風習もあったが,最も一般的には,成人するとき男は烏帽子親(えぼしおや),女は鉄漿親(かねおや)を頼み,また結婚するときに仲人親を頼むというように,仮親に依存することであった。ムラや生まれ育ったマチを離れ,生家を離れて他のマチの商家や職人の家の家長を親方とすることは,子飼い住込みの丁稚(弟子)奉公人となるときに,その家の子方となることを意味した。…
…仲人は単なる媒介者でなく,正当な婚姻として地域や親族,その他当事者の属する諸集団において承認を得るための,家の代表者として,また証人として,さらに新夫婦の指導,後見としての役割が期待されているのであり,そのため仲人には,当該社会の規範によってふさわしいとされる社会的地位や経済力などが要求されたと考えられる。新夫婦と仲人の関係は,一生続く場合もあり,仲人親(なこうどおや)として親子の関係(親子成り)を結び,親の葬式への参加,出産への祝儀など種々の義務づけがあり,さらに仲人は生まれた子の名付親や取上親として次の世代にまで関与することもあった。かつての村で仲人が必要とされたのは,比較的上層部の家が配偶者にふさわしい同格の家を広く他村に求めたことによると考えられる。…
※「名付親」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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